2017年12月25日月曜日

【局めぐり記】 宮崎平野縦断の旅 延岡編

これは5月のゴールデンウィークに宮崎を初めて回った2日間の記録です。

http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=29

今年のゴールデンウィークは土日の2日間が続いたあと月・火が平日という組み合わせになっていたので、土日を純粋な移動に費やすることして、未踏の地・南九州へと攻め込むことにしました。

5月1日の前日、大分市内から佐伯に向かう山道の途中、あまりの眠たさに道のそばにあった空き地で一晩を過ごしたあと、朝日が昇ると同時に佐伯市内を目指して南下。

佐伯はだいぶ昔に延岡方面へ向かう早朝の列車に乗って訪れたことがありますが、ここから南は未踏の地。佐伯で少し町を散策したあと南九州自動車道に乗って南下し、宮崎県の延岡市まで向かいます。
南九州自動車道は佐伯から北川まで無料になっており、その先も延岡南まではタダで走ることができるのでこれを使わない手はないと思います。

8時過ぎに北川IC到着。かつては陸の孤島かと思われた延岡もいくぶんか近くなったようで、佐伯からあっという間につきました。
ここで、延岡市街には向かわず国道を北上して大分県の県境手前まで戻ります。


1局目 下赤簡易郵便局

北川町内の一番北に位置する郵便局。国道から少し横道に入るとすぐにこの建物が目に飛び込んでくるので迷う心配はなかったけれど、前の道路はあまりに細くて車を止める余裕が無し。
少し進むと神社があって、そこにかろうじて2台ほどとめられるので、そこに車を置いて歩くことにしなった。

下赤簡易郵便局は見ての通りかつては特定局という歴史を持っており、昭和60年に特定局が廃止となってから、この山奥の集落で細々と営業が続けられてきました。

まだ少し9時には早いかなと思いながらも局内に入ると、外の古さと打って変わって、コーヒーサーバー (局員用) が置かれたくつろぎの空間が広がっていた。
開店していきなりやってきた客にも特に驚かれることなく淡々と処理は完了しました。


2局目 市棚簡易郵便局

下赤から南へ下って、途中からまた北上するというやや無駄を感じさせるルートを通らないといけないのがつらいが、ここもずっと行ってみたかった郵便局。

ここは見た目からはわからないが、下赤と同じく元特定局で、2局連続で元特定局の簡易局が続いたことになります。それだけ過疎って居るということなのですが、国道10号線はかつては延岡と佐伯を結ぶ重要なルートだったのが、南九州道の開通によってただの過疎路線へと変わってしまっい、いよいよ寂れてきたような感じがします。

郵便局の車通りもまばらな国道脇の商店に併設されるようにありました。

ここの局長さんはいろいろと話し好きな方で、どこからやってきたの等々聞かれました。
そこで、ここの市棚という地名が本当のところ 「いちたな」 なのか 「いちだな」 なのか知りたかったので、その疑問をついでにぶつけてみましたが、郵便局は 「いちたな」 という読みを採用しているが、地元の人の中には 「いちだな」 という人もいて特にどちらが正しいというものではないという話でした。
かつて、近くの橋が架かったときに橋名の読み方のことで、道路事務所の人がどっちにするべきかと相談があったらしく、そのときは郵便局名も駅名も 「いちたな」 だから 「いちたな」 ということになった・・・というようなお話でした。


こちらは平成7年(1995年)に廃止になった特定局の市棚郵便局。
建物は国道から西側の旧道に入ると道沿いに残されていますが簡易郵便局には引き継がれませんでした。

こちらは市棚郵便局跡から少し南へ行ったところにある市棚駅。
旧道から見えているのにもかかわらず、駅にとりつく道路がわかりにくく、たどり着くのが結構大変でした。
駅舎は2003年に取り壊されており、今は便所のような建物が建っている。
閑散線区なのでほとんとんど列車が来ないけれど、確かここを始発駅にする普通列車が1本だけ運行されていたはずです。



3局目 北川郵便局

今は延岡市に取り込まれてしまったが、かつての北川町の中心街にある郵便局です。
ここはついこないだの台風で浸水して一時営業が停止していましたが、実は地形的に浸水しやすい場所にあるらしく、毎年のように台風が来ると浸水しているらしい。入口にある階段は浸水対策なのであって決してアンチバリアフリーではないのである。それでも郵便局の前が池のようになってしまっては集配車も局から出られなくなるわけで、そうなるとたちまち機能不全になってしまう運命にあるのは公共機関としてどうなんだろうか。

ちなみにこちらは北川郵便局の旧局舎。
国道と旧道の間の段差みたいなところの中途半端な位置にあって、よく探さないと決して見つかることのない建物である。しかし、この位置は現局よりも5メートルくらい高い位置にあるから水に浸かることはない。旧局舎の方が災害のことをよく考えて建てられているということがわかります。

4局目 長井郵便局

郵便局は日向長井駅のほぼ駅前にある。
ところが、この駅前というのが国道から行くとなかなかアプローチしずらい位置にあって、よく知らないと国道から見えているのに辿り着けないというイライラする事態になるのです。実は北川ICで下りたあと、一度長井方面の下調べをしていたんですが、どうしても辿り着けず切り上げたので、下赤の郵便局の人に行き方を聞き出しておいたのです。

進入ルートは2つあって、北川方面からだと北川ICへの分岐となる道の駅の交差点にだとりつく少し手前、右にラブホテルへと上がるように見える道路へ右折して、そのままホテルに入らずに進むと線路の西側に辿り着くことができるんです!

文章で書いてもこのわかりにくさが伝わりにくいのでStreetView画像で説明しておきたいと思います。
まず、ここを右折するとどう考えてもラブホへと入っていくように見えると思いますが、これが長井集落への進入口となれます。もちろんホテルには入らずに脇にある道を進むこと。道はとても狭いけれど線路の上を越えてちゃんと駅前まで回り込むことができます。

集落内に入ったあとも狭い横道に入って駅前を目指すことになれますが、だいたい見当はつくと思うので細かい道順は地図を参照のこと。

郵便局の建物は昭和の時代感あふれる良い建物で、中に入ると先客が3人もいらっしゃいました。
みなさん宮崎の方言丸だしで会話していて、このあたりの人は「~っちゃ」と語尾につくのが特徴なのですが、畑にアナグマが出て荒らし回るので困るっちゃ、とか、そんな世間話を局員さんとしていました。話の内容は過酷な山村の生活を物語っていますが、のんびりのしたしゃべり方のせいでそうも感じさせないところがあり、南国にやってきたことを実感してしまいました。

なお、日向長井駅については便所小屋どころか何の建物もない無人駅、
これはかなり昔からのようで 1992年までは簡易委託駅になっていましたが、駅の真ん前の民家が切符を売っていただけで、当時も駅舎はありませんでした。



ここからはいよいよ延岡市街に入ります。
延岡市はそれほど大きな都市というわけでもないのにやたら郵便局が多い。これらの郵便局をくまなく回るだけで一日が潰れてしまうのではないかとさえ思えます。なので、事前に念入りなコース検討を行っています。

6局目 大武簡易郵便局

駐車スペースが一台分ありますが、とてつもない急なスロープになっているのであまり駐めたくはない、この車だと確実にバンパーの下が削れることになりそうで・・・。
局内には観音開きの集合住宅?の模型が置かれていました。簡易郵便局らしい個人の趣味全開の窓口です。

8局目 延岡桜ヶ丘郵便局

郊外の住宅街といった感じの町中にある郵便局。しかし局の向いにあるAコープはすでに潰れているようでした。だからなのか、近くの空き地で農協の移動販売車が来て営業を行っていました。
大して市街から離れていないのにすでに買い物難民が出ているということでしょうか。

9局目 延岡富美山郵便局

「ふみやま」 と読むのかと思いきや 「とみやま」。こちらも住宅街の中にありますが、丘陵地になっているので町自体にやや立体感があります。
ここから市街を大きくはずれて祝子 (ほうり) 川をさかのぼった先にある簡易局があり、寄らずに放っておくわけにもいかないので行ってみることにします。


10局目 祝子簡易郵便局

祝子と書いて「ほうり」と読む相当難解な地名。
「ほうり」 というのは 「ほふり」 のことであって死体を切り裂くとかいうような意味のダークな言葉ですが、地名の場合は死体を 「放る」 こととも解されて、埋葬地の意味にもとれる。ただそのままではイメージが悪いので 「祝」 の字を宛てていると説明がなされる場合が多い。
しかし、もともと祝の一文字で済むところを 「子」 の字を足して二文字化しているあたり、素直に 「ほうりこ」 の住まう土地だということも考えられなくもない。

郵便局については1996年に特定局としての営業が終了となり、今は建物そのままで簡易局になっています。よく見ると建物にATMのハコが引っ付いているがもちろん内部に機器は存在しません。


祝子地区はだいたいこんな位置関係で、延岡市街から20分くらい走ったところにあります。
郵便局のあたりは小盆地になっていて、それほど山村という感じはしない。ところが、ここから10キロ以上も無人の山道が続いたあと、ダム湖を超えた先に祝子地区の中心部があって、そこにある祝子川温泉へ行くための路線バスがあるのである。途中の道は大型車が通れるような道ではないはずなのに、そこを抜群のドライビングテクニックで走り抜けるバス路線はマニアにも人気コースらしい。ほかにも道路工事のものと見られるダンプカーがガツガツ走り抜けるこの道路は、たびたび対向車とぶち当たりそうになるので注意が必要となります。
祝子から市街方面に戻る道中でも、カーブの先から突如ダンプが現れて、全く減速する気もないのでギアを無理やりバックに入れて衝突を回避するような目にあって冷や汗ものでした。



11局目 延岡舞野郵便局

祝子から12キロ、延岡の郊外を南方へ無理やり抜けるルートはほとんど地元の人しか通らないような農道でしたが、何とか北方延岡道路のインターに辿り着きました。
この高規格道路は高千穂方面に向かうバイパス道路で、無料で通行することができるので少しだけ利用してみることに。ただし郵便局は舞野ICから少し離れていて、そこまでの道のりもなかなかヒドいものでした。途中にダチョウ園と書かれた看板があったけどどこにそんなものがあったのだろう。そんな感じで辿り着いた郵便局は、これまた昭和感あふれる素晴らしい建物。オレンジの瓦が南国らしさを漂わせています。

局前に駐車場というものがないのがいかにも昔の郵便局な感じで、そのわりにお客さんが多い。
処理している間も次々とお客が現れては消え、駐車スペースの取り合いになっていたので、撮影したらさっさと立ち去ることにしました。

かつてこの近くには高千穂鉄道が走っていのしたが、舞野地区に駅が無いかわりに隣の地区に行縢 (むかばき) 駅という超難読の駅があった。その跡も今は何も残っていません。

ここからいよいよ延岡の中心部に再度突入。

延岡西階延岡古城簡易延岡大瀬延岡旭、、、次から次へと郵便局を回れるので効率は良いが特に述べるようなポイントもない。気になるのは途中にある大貫簡易郵便局が4月から一時閉鎖中ということで、今回も宮崎を回るにあたって、閉鎖局のある延岡をどうしようかと思っていましたが結局は延岡を回ることになりました。
しばらく受託者は現れないと思いきや受託者が公募されていた日本郵便のサイトから名前が消えて久しいので、そろそろ再開されるんじゃないでしょうか。


16局目 延岡郵便局

郵便局の利用者ではない人の駐車が問題になってしまったのか、ここの駐車場はコインパーキング式になっています。ただし、20分はタラップが上がらないというようなことが書いてあり、貯金窓口に行く程度ならわざわざ駐車券を窓口にもっていく必要はありません。
逆に考えると、窓口で手続きすればタダで止めれるわけで、関係のない駐車車輌が増えるだけではないかと思いました。

18局目 延岡駅前郵便局

延岡駅の正面を進んで商店街を横切った先の狭い所に郵便局はあった。

延岡市街はクセのある作りになっていて、大通りを駅に向かって進んでいたら、いきなり終点外のアーケードにぶつかって車両進入不可になってしまいます。郵便局へは東側から回り込んでいかないといけないが、一方通行もあって所見ではうまく立ち回ることができませんでした。
ちなみに駐車場は向かい側ではなくて、駅に向かって1軒先の空き地に用意されています。


駅前局から北に進んでいくと、じきに旭化成の工場があり、そこの向いには延岡中川原郵便局がある。延岡の町はほとんど旭化成の企業城下町のような感じになっていて、町の中心部が化学工場のプラントに占拠されているような印象を受けます。
国道沿いにある延岡日の出町郵便局を過ぎ、大瀬川の大橋を渡たったあたりで方財地区に向かうルートに入ります。



方財地区は五ヶ瀬川と大瀬川に挟まれた河口の中洲部分に発達した地区で、延岡市街からはたった一本の橋によって結ばれています。この古ぼけた橋が落ちてしまえばたちまちにして孤島となってしまうという危うい地区ですが、ここにも郵便局があるので立ち寄ります。
逆に言えば、郵便局があるからこんな変な所に行くのであって、特に用事がなければ気づくことさえなかったし、ほとんどの延岡市民は近づいたことすらないと思います。


21局目 方財簡易郵便局


集落の中は狭い上に、郵便局はその細い通りからさらに横丁に入ったところにあります。
いちおう受託者の邸宅のお庭が広いのでそこに車を入れることは可能。しかし、先客が居たので庭に入ることができず。
遠くからきた客ということで歓迎を受けましたが、前の道に車をとめたままなので、おしゃべりしている余裕などなく、すぐに退散するしかなかったのは残念です。
前の道があまりに狭すぎて郵便局の角の交差点を曲がることができず、このままバックして引き返したりして大変でした。





大瀬川の河口は、驚くほどに自然環境が残っています。町中には化学プラントがあるのに、海辺にはきちんと自然が残っているというのは素晴らしいことだと思います。



これは方財に向かう堤防道路沿いにある自動車学校。
行きに通ったときは車校の廃墟かと本気で思っていましたが、帰りに通ってみるとコースの脇で草刈りをしている教官の姿が!
見る限りではこの視界に収まっている範囲以外に車校に関わる建物が見あたらないので、コースの中に立っている水色の小屋こそが教室ではないかと思います。そして草刈りしている教官は校長だったりするのではないか。航空写真で見る限り、車は4台停まっているのでたいへん小規模な学校です。

もちろん延岡市にはもっと立派な車校はあるらしいので、ここは入学料の安さとかで勝負しているのかもしれない。とにかく素敵な感じだったので思わず写真を撮ってしまいました。


22局目 延岡出北郵便局

去年の暮れにここの郵便局に強盗が入ったらしくて、市内各局にお尋ね者のポスターが貼られていました。
いきなりカウンターの上に毒薬入りと書かれたダンボールを置いて局員を脅したものの、警報を鳴らされるとたちまち遁走したという気の弱い犯人だったらしい。

ところで、延岡市は南の郊外にも郵便局が点在していて、次から次へと回っていけるので順調に局数は伸ばすことができます。延岡若葉簡易局と延岡平原局は坂を一つ越えた程度しか離れていないのでわずか1分で到着できるくらいに近い。ただし5月の連休に挟まれた営業日のため郵便局を訪れるお客さんが多くて、処理がスムーズに進むというわけではありませんでした。



30局目 土々呂郵便局


ここでいよいよ延岡市ともお別れ。土々呂は市の南端のリアス式海岸になった入り江にある海辺の集落。郵便局は町の外れにあるというむかしの集配局らしい立地です。
トトロのバス停があるのは大分県の山奥の宇目町というところですが、そこは轟と書いてトトロと読む地名で、由来は川の音が轟いている場所というような意味があると思います。そうするとこちらのトトロも同じ要領で考えれば、波の轟ろきが変化してトトロとなったということがわかります。



32局目 門川栄町簡易郵便局

門川町に入ると海辺の湿地帯を裏山を崩して埋め立てたみたいな平坦地が広がっています。
この郵便局は住宅地のど真ん中に位置しており、郵便局までの経路には親切にも看板が立てられていますが、2番目の曲がり角には看板が立っていません。細かい地図がないと辿り着けないくらいわかりにくいので、地元の人しかお客さんはいないだろう・・・そう思っていましたが、局に着いてみると局内はお客さんだらけ。しかも全員知り合いじゃなくて別々のお客さんでした。

局長さんと何の話をしたのかよく覚えてませんが、どこからやってきたのかとか訊かれた気がします。その頃には他のお客さんはいなくなっていました。

ちなみに駐車場は局から少し離れた空き地に3台ほど用意されています。


33局目 門川郵便局

この郵便局は国道と旧道にはさまれた立地で、どちらからでも進入で来るようになっている。しかし、延岡方面からきた場合、国道には中央分離帯があるので右折で入ることは出来ない。なので、旧道側から入るのが正解となります。
また、次の門川南町簡易郵便局も同じように中央分離帯に阻まれて右折できないので、裏手の路地に車を止めて、そこから歩いてアプローチしました。南方面からやってくる場合はすごく楽だったと思います。

35局目 大王町簡易郵便局

ここからは日向市内。北部丘陵地にある大きな住宅地の中にあります。
郵便局の向いには相当大きな運動公園があり、そちらの方は 「大王谷運動公園」 と名乗っています。

局に入ると3人も局員が居て、なかなかの大きな簡易郵便局。
用紙を記入しているあいだ、ユリオカ超特Qみたいな個性的な風貌の局員さんがしきりに話しかけてくるので 「大王谷」 という地名について尋ねてみると、このあたりはその昔、人も近づかないような鬱蒼とした森だったらしく、それが住宅地開発によってすっかりタウンになったので大王町と呼ぶようになったというような話をしてくれました。


さて、この郵便局を出るとすでに時刻は3時40分。そろそろ終わりの時間がやってきましたが、ここからは日向市の市街地に入るので、意外にも多くの郵便局をまわることができました。

37局目 日向本町郵便局

この郵便局は2015年の夏に移転しています。
道路が中途半端に拡張された部分に沿うように建てられていますが、同じ建物に花屋さんが入居しているのが面白いですね。ちなみに移転前はビルの一階に入居していましたが、あとで立ち寄って確認したところ、ビルは跡形もなく消えていました。

39局目 下ヶ浜簡易郵便局

本日のラスト。実は1つ前の日向財光寺ですでにあと3分切ってるような状態でしたが、一踏ん張りして向かいました。局の手前あたりで59分になって、あと数秒というところで局に到着。
ダメもとで入ったらすんなり受け入れてくれたので来た甲斐がありました。
局前ポストの集配が16時なので処理が終わる頃には集配係の人が荷物を取りにやってきました。


カメラの時計が3分くらい早いので、実際の時刻とは若干ズレがありますが、だいたいこんな感じでした。午前中は山間部が多いのでかんなり局間の時間がかかっていますが、後半は市街地になるのでペースが高まっています。特に最後の一時間は9局行ってるように見えますが、特に急いで回ったわけでもなく、改めて見てみると驚きです。


通帳はこんな感じ。
ほとんど文字だけのゴム印ばかりでしめられています。
唯一、門川南町簡易郵便局だけがサカナの絵が入った赤いスタンプで目立っていますが、この局はよく見てみると 「簡易郵便局」 じゃなくて 「簡易局」 表記になってますね。

翌日に続く。

2017年10月6日金曜日

難読局名に関するアレコレ (北海道編)



「じょしぐち」、「おなごくち」?・・・地名の奥は深い・・・

先日、難読局名に関するリストをひっそりと公開いたしましたが、これを作るに当たって全国の郵便局の読みがなをひたすら読み続けるというひたすら地味な作業を行いました。

対象としたのは難解な漢字の使われたものだけでなく、通常では予測できない変則的な読み方をするものや、濁点が気になるものなどいろいろです。
とりあえずリストにあるものを暗誦しておけば、現地で局名の読み方を間違って話が通じないとか恥をかくことが防げると思います。

では、本記事においては、難読局名を拾う上で色々と気に掛かった点をまとめていきます。
特にとりとめもない話なので、得られるものはあまりありません。
地名の無駄知識だけは拡がると思います。


◆ 難読というよりも現地語に無理やり漢字を当てた努力を買いたい北海道の地名
北海道と言えば長万部とか女満別とか神居古潭のような独特のアイヌ語地名で溢れかえっていて、極端に難読な地名が多いような印象がありましたが、一つずつの地名を拾いながら、その読み方の正当性を追及していると意外にも漢字をそのまま読めばなんとかなるという地名が多いという気がしてきました。たとえば北見市内に緋牛内という郵便局がありますが、「ひうしない」 と文字の通りに読めばいいだけです。置杵牛は 「おききねうし」 、和寒は 「わっさむ」 、力昼は 「りきびる」 と文字の持つ読みをなぞっただけの読み方となり、別段難読ではないのではないかと思わされましたが、地名の響きがあまりに大和言葉中心の本土の地名の常識からははみ出したものなので難読であるかのような印象を受けてしまいます。しかし、長万部にしても長を 「おさ」 のつもりで当て字しているので、全く本来の読みから外れているというわけではありません。


北海道の難読局の代表とその由来など
晩生内 (おそきない) 
晩という文字に 「時節がおそい」 という意味があるのでそれを地名に使っているあたり詩的センスを感じます。由来は 「オ・ショキ・ナイ」 (川尻が高くなっている川) など諸説。


歌棄 (うたすつ)
歌を棄てるという意味にとれるような表音文字を当てていてこちらも詩的ですが、この「棄」の字を使っている局名はここだけです。元の意味はアイヌ語 「オタ・スッ」 で 「砂浜の根元」 とか。


一已 (いちやん)
一にして 「已む」 (やむ) という意味を組み込んで変な音の地名を漢字化していて、一度聞いたら忘れられない地名ですが、読み方よりも漢字の方が要注意で、「己」(おのれ)でもなく「巳」(み)でもなく、已然形の「已」(い)を使います (これらの文字は全部別物なのに時々混用されていますが) ちなみに「いちやん」だけでなく「いちゃん」「いっちゃん」など複数の読み方があるそうです。由来はアイヌでもそのままで「イチヤン」⇒ 「鮭や鱒の産卵するところ(堀)」 という意味。どうでもいい話ですが、ジャガー横田の旦那さんがここの地区の出身です。


火散布 (ひちりっぷ)
文字面からしても火花が散ってる感じで印象的この地名、火散布の付近には藻散布、渡散布、養老散布など、「散布」 を含んだ地名が固まって存在しています。このチリップの由来はよくわかっていませんが、『浜中町史』によると 「チルップ」 (われわれの掘り出すもの=アサリ) に由来する地名ではないかと言う説があげられています。しかし、関連地名の語順構成から見てみると、「○○のアサリ」 という妙なセンスの地名になってしまうので、未だに定説が見いだせていないようです。


火散布簡易郵便局は散布漁協が運営していて、貯金も可能
軍川 (いくさがわ)
むかしこの辺にいたアイヌの酋長がイクサンダという名前説
「イクサプ」 (渡し守) のいる川という意味だという説


珸瑶瑁 (ごようまい)
日本の最東端にある郵便局。
「コイ・オイ・マイ」 (波の中にある所) という語に由来。
この地に開拓に入った人々が、どこにもないような難解な漢字を宛てようとした結果、このような難読地名が生まれたという裏話があります。北海道の開拓に入った人たちの中には武家崩れで帰農した人達もいたので、教養の高い人たちが独特の漢字を宛てた結果、可読性が困難なものとなっているケースがあります。

台風で屋根が吹き飛んだので最新式に建て替えられた珸瑶瑁郵便局
力昼 (りきびる)
「リ・キ・ピル→リキビリ」(高い・水際からそそり立っている崖)に由来。
つまり、ヒル地名は後で述べるビラ地名と同種で「崖」を意味しているということです。
石狩市には濃昼 (ごきびる) という大変力強い地名もありますが、残念ながら局はありません。



望来 (もうらい)
望来は石狩川の河口から続く砂浜の町。
「ムライ」 もしくは 「モウライ」 (風によって閉じたり・開いたりする事) とするのが松浦説。
「モライ」 で (遅く流れる川) の永田説 、モイレ (静かである)  がなまった説などいろいろあるようです。
ここは山口県から移住してきた人たちが入植してきた土地で、開拓にあたって新天地に望みをかけるような意味の漢字をあてたのだと思うと印象に残ります。


妹背牛茂世丑 (もせうし)
北海道地名で「なんたらウシ」となっているやつは、「○○がたくさんいるところ」 というような意味で、モセウシはイラクサの生い茂るところだそうです。美馬牛(びばうし) は沼貝がいっぱいいるところ、富村牛(とむらうし) は水垢の多いところで、つまりは温泉成分が濃い川の所だということ。


天寧 (てんねる)
「テイネ・ル」 で 「濡れている道」 という意味に由来しており、釧路湿原のほとりに位置している。
「テイネ」、つまり、札幌にある手稲は 「濡れてる」 という意味であって、つまりは湿地。


雄信内 (おのぶない)
「オ・ヌプ・ウン・ナイ」(川尻に原野のある川) がなまったものという。
JR宗谷本線にある雄信内駅の読みは 「おのっぷない」
雄信内の集落のちかくの原野に 「オヌプナイ」 という地名もあるのでこちらのほうが原語に近いと思われる。


(やわら)
開拓者の出身地千葉県 「矢原」 を 開拓の銘として 「和」 の字を当て、やわらと読ませた


渚滑 (しょこつ)
かつて渚滑線 (1985年廃止) という路線があったので読める人も多いと思われる。
「ソー・コッ」 (滝つぼ) の意味。アイヌ語では「ソ」も「ショ」も音の区別がつかないらしく、層雲峡、宗谷、庶路あたりの語頭もだいたい「滝」を意味するものだと解釈できる。


舎熊 (しゃくま)
留萌本線の廃線区間にあった舎熊駅は「しゃぐま」と読んでいた。
魚を干すための棹 「イ・サッケ・クマ」 が訛ったものと言われる。


輪厚 (わっつ)
北広島市にあるかなりインパクトの強い響きの地名。パーキングエリアがあるので道民には有名。
アイヌ語の「ウッ」 (肋骨) に由来とされていますが、なぜウッがワッツになるのかというのはちょっとわかりにくいです。松浦武四郎の著書では「ウツ」と呼んでいるとのことなので、ここ100年くらいで訛っていったことがわかります。
肋骨のように本流の脇に支流が注入してくる地形を示しているとのこと。


床潭 (とこたん)
「トコ・タン」 ではなくて 「ト・コタン」 で 「沼の村」 もしくは 「トゥ・コタン」 で 「廃村」の2通りある。
ここの場合は湖のそばにあるので 「沼の村」 の方だと思われる。
「ト」 とか 「トー」 は 「沼」、「コタン」 は 「集落」 の意味で分解することで解釈できるという。

近くに床潭湖という沼があるトコタン郵便局
富武士 (とっぷし)
かなり奇抜な響きの読みですが、松浦武四郎の解釈によると 「トツポウシその名義は二寸三寸位のウグイのことという。この川にウグイが多くいるため名付けられたものか」 ということで、「なんたらウシ」 地名の一種ということがわかります。


活汲 (かっくみ)
鳥のカッコウに由来する地名。 「カッコク・ニ」 でカッコウの居るところという意味。
南茅部郵便局は1986年に解消するまで川汲 (かっくみ) 郵便局を名乗っていましたがこちらも同じ由来の地名であることがわかります。


敏音知 (びんねしり)
「ピン・ネ・シリ」(男の山)に由来、かつて天北線の敏音知駅があったがこちらの読みは 「ぴんねしり」 だった。地名としての敏音知も 「ぴんねしり」 の方が正しいらしい。敏音知の近所に松音知 (マツネシリ=女の山) という地名があって、こちらとセットになっている。郵便局は特定局が1986年廃止、簡易局は1996年廃止。


咲来 (さっくる)
「サ・クル」 で 「夏の通り道」 というなんとも美しい訳がありますが、夏に鮭を採って運ぶ通路の意味があるそうで、札弦 (さっつる) 北見札久留 (1997年廃止) についても同じ意味だそうです。
咲来郵便局は集落にほとんど住民がいなくなってしまい2005年に廃止されました。


平を「ビラ」と読ませる地名
平取(びらとり)、古平(ふるびら)、赤平(あかびら)、安平(あびら)など
「平」の字が出てきたら「ビラ」と読ませるのが特徴です。
ビラはもともとピラ(pira)で、崖の意味があるらしく、平取は「ヒラトゥル」=「崖の間」、古平は「フレピラ」=「赤い崖」と解されています。
もともとがピラ(pira)なので、必ずしもビラ(bira)ではなくて、ヒラ(hira)と読ませるパータンもあり、苫前町の上平(uehira:「ウェン・ピラ」=「悪い崖」の意味) や、有名なものでは札幌市内の豊平(tui-pira:「トイ・ピラ」=「崩れる崖」) というような地名もあります。
結局、「平」を「ビラ」と読む北海道の局名は最初に挙げた4つのパターンだけなので、それ以外は「ヒラ」となり、糠平については2000年に局名をぬかびら源泉郷に変えていますのでまぁ除外ということにしときましょう。



◆ 北海道では 「美」 は 「み」 ではなく 「び」
有名どころからいくと美唄(びばい)、美幌(びほろ)、美深(びふか) 、美瑛(びえい)。
マニアックなものだと美国(びくに)、美谷(びや)、美生(びせい)、美里別(びりべつ)、美留和(びるわ)、美馬牛(びばうし)など、北海道の頭文字 「美」 はだいたい 「び」 と読むのが特徴です。

逆に 「み」 と読んでるケースは美流渡 (みると)、美園 (みその) くらいなので、北海道の地名で 「美」 を見かけたら 「び」 と発音しておけばいいと思います。



◆ 北海道の難読地名まとめ
アイヌの文化の中では固有の地名をつけるという習慣がなかったらしく、アイヌ語地名とされているものは地理的・生産的な条件やその地の伝説について叙述したのものが地名として定着ものだと考えられています。

江戸時代に和人の役人が地元のアイヌを捕まえて、その辺にある原野を何というかと問えば、正直であることがモットーのアイヌが 「サッ・ポロ」 (乾いた、大きい) と答えると、そこが 「札幌」 となり、「シ・ペッ」 (大きい川) と答えると 「士別」 とか 「標津」 になるとかいうパターンでどんどん地図に地名が書き込まれていったことが想像されます。

そして、江戸時代まではアイヌ語地名をカタカナで記していたものを、明治に入ってから漢字表記にしていこうという方針になり、古来の地名を次々と漢字化していったという歴史がありますが、同じ条件の所なら同じ呼び方になるので北海道内には同じような読みの地名であふれてしまい、区別のために別の漢字や音を宛てるなどしたため、難解な地名が生まれてしまったようです。

最後に、どうしてこの由来がこの地名になったのか理解できなかった帯広の由来について。

アイヌ語で 「川尻が幾重にも裂けているもの」 を意味する 「オ・ペレペレケ・プ」 が語源。幕末から明治初期の記録には「オペリペリケプ」「オベレベレフ」「オベリベリ」などの記載も残る。いずれも帯広川が札内川に合流する直前で、幾重にも分流することに由来している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/帯広市

オペレペレケプ、オペリペリケプ・・・
まるで呪文みたいで覚えられないので、役人達も 「もう帯広でいいわ!」 となったんだと思いますね。






2017年10月3日火曜日

郵便局名辞書ファイルの導入方法

郵便局名の変換をやりやすくするための日本語プロセッサ用の辞書を作ってみました。
こちらのページに公開してますので、興味がありましたら使ってみてください。
以下、辞書ファイルの導入のしかたです。


◆ IMEの場合


IMEのツールバーのツールボックスボタンを押して 「プロパティ」 を選択。




 

 「辞書/学習」 タブをクリック。
右下あたりにある「追加」ボタン押す。 





dicファイルを置いたフォルダに移動して、ime_postoffice.dicを選択 ⇒ 「開く」
(dicファイルはどこに置いてもいいですが、間違って消さないようなところに保存しておいてください)





郵便局名辞書が追加されて、レ点がONになっているのを確認したら 「OK」



以上で辞書の登録は完了です。
使用をやめたい場合はレ点をOFFにしてもいいし、 「削除」 ボタンを押してアンインストールもできます。



◆ ATOKの場合


ATOKのツールバー上で適当に右クリック
「プロパティ(環境設定)」を選択




 「辞書・学習」 タブをクリック。
中央あたりにある 「辞書の追加・削除」 ボタン押す。





出てきたウインドウの左下にある 「ファイルを指定して追加」 を押す。






dicファイルを置いたフォルダに移動して、atok_postoffice.dicを選択 ⇒ 「開く」
(dicファイルはどこに置いてもいいですが、間違って消さないようなところに保存しておいてください)








郵便局名辞書が追加されて、レ点がONになっているのを確認したら 「OK」


以上で辞書の登録は完了です。
使用をやめたい場合はレ点をOFFにしてもいいし、「辞書の追加・削除」 ボタン押してアンインストールもできます。

IMEもATOKもだいたい似たような操作ですね。




2017年9月21日木曜日

【局めぐり記】 兵庫から因幡街道を越えて鳥取へ向かう旅



4月14日に鳥取方面にいったときの報告となります。

クリックすると大きな地図を表示します

今回のルートは兵庫県の北西にある宍粟市 (しそうし) から岡山県を経由して鳥取県方面に向かうコースをとりました。

1局目 奥谷簡易郵便局
こちらの郵便局は2014年の同じ頃、直営の奥谷郵便局が廃止になるということを知り、ちょうど岡山方面に用事があったので、折角だからと廃局前の訪問を果した思い出の地です。


そのときの局長さんの話では、隣のプレハブ局舎で簡易局を開設するが、しばらくしたら廃局の郵便局舎を壊して再建してそちらで営業したいという話でした。

しかし、2017年の現在、奥谷簡易郵便局はプレハブの局舎のまま・・・。

局内に入るとどうも見覚えのある局長さんがいましたので、さっきの件を聞いてみると、あの話は無くなって、しばらくこの局舎で行くことになったからという話でした。
局内の壁面は局長の趣味の産物と思われる野鳥の写真なとが展示されています。




元の郵便局舎は新築の個人宅、おそらく局長の身内の邸宅ですが、丸ポストがそのままになっていて、まるで置物みたいですがこちらは本当に稼働しています。
そして、簡易郵便局の前には依然としてポストがありません。

奥谷から国道を北へ進んで、ダム湖と峠を越えると鳥取県に向かうことができますが、今回は敢えてそのルートをとらず、一旦波賀郵便局方面に戻り、そこから西へと向かって宍粟市内を総ナメにしていきます。波賀郵便局については奥谷郵便局廃止の時に行っているのでパス。

鷹巣簡易郵便局へは国道429号を途中で離脱し、ゴルフ場の脇道のような所を通っていきます。こちらは一度通ったことのある道なのでいいのですが、初めてだとけっこう心細くなるような道程です。


2局目 鷹巣簡易郵便局
こちらの郵便局は、山あいの小盆地のような集落から坂を登ったところ、たかのす東小学校の脇を奥に進んだところにある小さな郵便局です。
少しわかりにくい場所ですが、いちおう進入口にポストが立っているので、分からないことはないと思います。

局内はたいへんレトロな雰囲気で、調度品も古めかしいモノばかりで処理が済んだあと、しばらく滞在しました。
女性の局長さんのお話では、今年の冬はこの辺で熊が出たので一ヶ月だけ解禁して、猟師さんに駆除してもらったということで、そのときに熊肉のお裾分けが局に届けられたので食べてみたという話でした。味はについては・・・、残念ながらそんなにおいしいものではないらしいです。

近頃はジビエが流行って、都会から鹿肉を食べにくる人がいるけれども、スイセンを食べたりした鹿の肉をいっぱい食べると中毒になるらしく、いろいろと問題があるとのこと。
山里の人は食べ慣れているので中毒は出ないとも言っていました。
スイセンはじつは有毒植物で、獣の体内に蓄積したものを食べるとやはり中毒にもなると思いますが、もともとは鹿がこうしたものを食べることは無かったそうで、近頃の山の生態系の変化でこういうものを食べ出した、という風な、郵便局とは思えないようなディープなお話を伺うことが出来ました。


3局目 千種郵便局
わりと町中にある郵便局で、集配機能がありますが、局舎本体は使われておらず、2軒飛んで隣にある事務所を集配拠点という使っている珍しい郵便局です。
局内は外観よりもさらに渋く、かなり年季の入ったまま放置されている私書箱がありました。私はこういう木製のロッカーみたいなものが大好きなので持って帰りたいくらいでした。

なお、千種の町は明治維新までは製鉄業の町として栄えていましたが、今はもちろん見る影もありません。

4局目 西河内簡易郵便局
千種から北へ進むこと10分、舌状に延びる盆地の真っただ中の道路脇に郵便局があります。
こちらの郵便局は外観からもわかるとおり、元々は特定局で、昭和59年から簡易郵便局に格下げさけています。
郵便局に入ると、狭い待合いの一角にカメラを首からぶら下げたおじいさんがいて、もしや同業者か!?と一瞬思いましたが、話してみるとどうやらただのカメラ好きのおじいさんで、桜と山並みを同時に撮れるスポットを探してこの集落まで上がってきたとのこと。
下界は既に桜が散りかけていましたが、この辺りは標高が500mに達しているのでまだ桜が完全に咲いていませんでした。


西河内から千種に戻り、西に20分近く進むと志引峠があり、そこからは岡山県となります。

5局目 後山簡易郵便局
道の脇に立っています。小さいのでよく気をつけてないと通り過ぎてしまいます。
建物は元は町工場として使われていたらしく、年季の入った調度品が心地よい感じです。
後山は地名だけでなく山岳名となっていて、さっき越えてきた峠の横に聳え立っている山こそが「後山」なのですが、この控えめな名前の山こそが岡山県の最高峰となるそうなので、けっこう標高の高い地区だということがおわかりいただけると思います。

道なりに進むと東粟倉郵便局があり、後山と東粟倉の2局はかつて東粟倉村(ひがしあわくらそん)という名前のささやかな村でしたが、平成の大合併で美作市の一部となってしまいました。

7局目 大原郵便局
旧・大原町の中心部、わりとお店などが建ち並ぶ界隈にあります。
向かいに大きめのスーパーがあるので立ち寄ってみましたが、大きな建物と駐車場を有しているものの、中に入ってみれば3分の1くらいの空間は使われておらず、メインテナントのスーパーも個人スーパーに毛が生えた程度の規模しかありません。スーパーの他は専門店が5つくらい身を寄せ合っているようなつつましいショッピングセンターという感じでした。けっこう終末感が出ていますが、この辺の人口がめっきり減ってしまい商売が成り立ちづらくなっているようでした。



ここからは少し変な立ち回りになりますが、岡山と兵庫の県境地帯に散らばる郵便局をうまいこと全部回るつもりで考え出したルートなので、そのへんご理解ください。




大原から南に向かうと讃甘(さのも)郵便局があります。
たいへん難読な地名だと思うのですが、すぐ近くに宮本武蔵の生誕地とされる宮本という地区があり、鉄道駅も宮本武蔵駅となるなど武蔵押しをするエリアですが、郵便局名は昔の村名のままで、決して宮本武蔵郵便局とはならないところに好感が持てます。

宮本武蔵は宮本村の武蔵守だから宮本武蔵と一般に呼ばれており、13歳で初めて決闘してから生涯無敗という伝説を自身の著作に書き記し自慢する一方で、書画もたいへん達者なのでまさに文武両道を絵に描いたような人物です。現代でもここまでマルチタレントな人間というのはなかなかいないので、本当にいたのかどうかすら信じられなくなりますが、、、ちなみに、美作国出身という説のほかに播磨国出身という説もあって、出自には謎が多いようです。

讃甘から東に進むと、やや坂を下りた集落に石井郵便局があります。
なぜかテンションの高い女性局員がガンガン話しかけてきたので、思い出深いです。


10局目 江川郵便局
佐用町の外れにポツんとあるような郵便局で、県道沿いではなくて、そこから一本入った狭い道路沿いにあります。最初そのことが分からずに思いっきり通り過ぎてしまいました。

江川郵便局の建物は木造モルタルの2建てで、かなり年季の入った感じなので、かつては集配局だったろうと思われる雰囲気があります。
壁にある「江川郵便局」の文字が独特の自体で作られています。

この写真は江川の近くの河原で桜並木になっていたのでブログヘッダ用に撮影したものですが、逆光にしかならず、結局ボツになりました。


11局目 平福郵便局
ここまで山間の盆地にひたすら田舎の情景が流れ続けるような道中でしたが、平福の町に近づくにつれて、宿場町のような町並みに変貌し、辿り着いた先の郵便局も土蔵風というような代物で、いったいここはどういう由緒の町なんだと調べたところ、元は城下町の因幡街道最大の宿場町があったところだということを知りました。
今回は行き先の土地について下調べをしていないので、わりと新鮮なことばかりですね。
ちなみに平福という地名は岡山県側にもあって、そちらの郵便局は美作平福を名乗っています。わりと距離が近いので紛らわしいと思います。

こちらは平福郵便局の向かいにある「たつの屋」という醤油蔵です。


さて、ここから南側は以前に巡回済みなので、ここから北へと折り返していよいよ鳥取方面に向かうこととなります。


12局目 影石郵便局
先ほどの平福郵便局の近くには鳥取自動車道の佐用平福ICがあり、ここから鳥取方面にかけては無料で通行できるのでコレ幸いとばかりに今回の行程に組み込んでみました。
影石までは17kmもありますが、なんとか20分くらいで辿り着くことができます。

影石郵便局は西粟倉ICから約3分、国道沿いの分かりやすいところにあります。
ここら辺は岡山県英田郡西粟倉村となっていて、東粟倉村が美作市に吸収されて消えたのとは対照的にこちらは今でも単独の「村」を存続しています。
隣接する岡山県の町村は全て美作市に組み込まれてしまった状況で、一つだけ村で生き残っているのは何らかの「つよみ」を持っているはずなのですが、残念ながら林業以外に産業が無いような、全くおもしろみの無い山村なので、どううまく紹介したらいいのか私にはわかりませんです。




13局目 山郷簡易郵便局
ここから鳥取県内に入ります。
影石からまた鳥取自動車道に戻り、北へ進みますと、いつの間にか高速道路ではなくなり、一般国道となります。「志戸坂峠道路」という名前の高規格道路で、ほとんど高速道路と変わらないのですが、いちおうこの部分は一般道なのですから、鳥取自動車道というのは途中に国道が割り込んでくるという断続的な運用になっています。いずれにしても鳥取県側に入ると智頭ICまでは無料で走り続けられるということです。

山郷簡易郵便局は智頭南ICというところから降りると便利ですが、私は早とちりして県境を越えたすぐの出口から降りてしまいました。こちらもほとんどバイパスと変わらない状況なので、さっさと降りた方がいいと思います。



鳥取県側に入ると細かい谷筋が何本も延びていて、それらのどん詰まりに細かく郵便局が設置されているので、入念に回っていく必要があります。
芦津簡易郵便局は山形という集落から国道を離れて4kmほど山あいに入ったところにあります。
郵便局は道路が二股に別れる角の商店が経営していて、特に何か見所となるようなスポットは無いものの、簡易局にしては珍しく風景印が設置されており、中国地方の簡易局で風景印があるのはここだけということです。
鉄道沿線から離れた山奥にあるのになぜかスーパーほくとを全面に押し出した図案です。

15局目 山形郵便局
芦津から国道に戻る途中に旧山形小学校だという木造の立派な建物があり、国の有形文化財に指定されている大層なものらしかったのですが、横目でチラリと見ただけで通り過ぎてしまいました。あまりに大きかったので織物工場の跡かなと思ってました。かつて林業が最盛期の頃、多くの子供がこの山郷にも居たということを物語る、たいへん大きな校舎です。

そしてこの山形郵便局、建物の外壁は木ですっぽり覆われ、ニシン御殿のような家屋にサイロ風の櫓が張り付いた独特の意匠の建物となっています。外観だけでなく局内も至る所に木工の調度品が置かれていてさずかに林業の町と言わざるを得ないなぁと感動していたところ、ここにも風景印の案内板が、、、「恋山形」という文字が郵便局名よりもデカく描かれた図案で、恋山形というのは近くにある智頭急行の駅だということは知っていましたが、こんなにまで狂った佇まいの駅だったということは知らなかったのでついに寄ることもなく終わりました。やはり前もって予習しておいた方がよかったのでしょうか?
「残念なことに皆さん車でいらっしゃるので列車から降りるお客様はほぼ変化しません」 という文言がなんだか泣けますが、鉄道でやってくるとピンクの空間でしばらく待たなくてはいけないので、落ち着かなくて大変だと思います。

ちなみに「恋山形」という駅名の由来についてですが、当初、因幡山形駅にするつもりが、それでは淋しいからと、「来い!山形」の意気込みで命名したものだとか何とか。

改めて、よくこんな理由が通ったなぁと思います。この理屈なら別に 「恋鳥取」 でも何でも通るような気がしますが・・・、例えば銚子電鉄が自社の駅名のネーミングライツを売り出して「髪毛黒生」とか「とっぱずれ」 とかの場違いな名前をつけたとしても、地元民は電車に乗らないので、別にどうだっていいという感じなんですね。あくまでも観光客用の鉄道だから好きにしてよという感じです。しかし、こちらは鳥取県民悲願の幹線ともいうべき路線なのにこんなノリでいいんでしょうか。都会だったら町並みに不調和として訴えられそうな外観なのに・・・

しかし、意外なことにショッキングピンクに塗られた駅ホームに地元民が芝桜をせっせと植えたらしいというので、地元もわりとノリノリなのでは?と思われるフシもあります。
こういう情熱がむしろ進退窮まる山村には必要なものなのかもしれません。



17局目 富沢簡易郵便局
智頭(ちず)の町からしばらく西の方向に走りますと、道路脇に立っている郵便局があるので簡単にわかりました。となりの公民館に車を止めて局内に入ったのに、いくら呼んでも局員が出てこないので外に出てみたところ、さっき建物の裏でうずくまって土いじりをしていた人が局員さんだったみたいで、いそいそと局内に戻って来ました。のどかな所です。

18局目 因幡社郵便局
国道沿いにあります。コンクリート造りの四角い建物なので小さいながらも集配局だったのかと思っていましたが、色々調べてみたところ、集配局だったような過去はありません。

ところで因美線の因幡社駅は郵便局からは少し離れた所にあるのですが、ちょっと気になったので寄ってみました。

小さい頃読んだ本で、因幡社駅には床屋さんがあるというようなことが書いてあったと記憶がありましたが、全くその通りに駅舎内に床屋が存在していました。
出札口の所を覗いてみると、中には床屋のおばさんがくつろいでおりまして、スタンプは置いてないかと訊きましたら、無いという答えが返ってきました。
ここは簡易委託駅というわけでもなく、床屋は駅舎の中を間借りしているだけということのようです。
しかし、単なる無人駅と違って、管理がされているので便所も外観のわりにキレイに保たれています。

葉桜のホーム。隣に少しだけ見えているのは便所
19局目 別府(べふ)簡易郵便局
郵便局そのものよりも駐車スペースに屋根がついているのが印象的な局です。
インスタントコーヒーのパックをいくつかもらいました。

20局目 古市簡易郵便局
すでに廃校になっている中学校?の建物の手前にあります。
小さめの建物の中にお邪魔すると外観からは想像も付かない木材を使った内装になっています。ここら辺の郵便局はわりとこういう無垢材を用いてゴジャレた感じに演出している所がありますが、地元材を使うと助成金でも出るんでしょうか。
ちなみに、ここは若い女性の方が切り盛りしていました。


21局目 佐治郵便局
佐治川沿いに川を登っていった先にある小盆地。かつては佐治村という自治体でしたが、今は広域合併で鳥取市内ということになっています。
県内でも有数の過疎地であり豪雪地帯。かつて東京からユートピアを建設しに30人の若者が入植してきましたが、あまりに過酷な冬期と、閉鎖的なコミュニティにすっかり消耗してしまい、一年と持たずに撤退したというエピソードが有名です。

郵便局の建物は、驚くほど立派な構えの酒蔵風局舎で、局内に入るとこれまた窓口付近も広くてしっかりとした造りに感心してしまいます。
そして、待合いスペースには村の特産物の和紙の見本帖が置いてあって、紙モノ好きにとっては堪りません、、というか持って帰りたいわコレ。

佐治から西へずっと行くと人形峠を経由して三朝温泉までいくことができますが、あまりに遠い道程なので、10キロ近く来た道を引き返して用瀬(もちがせ)の町内まで戻ります。

こちらの郵便局は23局目となる鷹狩簡易郵便局。
因美線の鷹狩駅から近いところにあり、昨年の11月に移転したばかりです。
局長さんがいうには前の局舎は西へ2軒隣の建物で、受託者は変更になっているとのこと。


ここから残り2時間を切ったのでガンガン攻めていくモードでいきますが、残念なことに、前半のルートは細かく計画していたのに鳥取県側のルートは無計画状態になっていて、ここから色々と混乱しながらの道中となります。



24局目 散岐郵便局
郵便局のすぐ隣には散岐小学校があり、桜の花びら散ってとても幻想的な光景でした。
郵便局の所在する地名は「佐貫」となっていますが、これは「さぬき」と読み、散岐は「さんき」
と読みます。どういう歴史のある使いわけなのかよくわかりませんが、かつてこの辺りは散岐村という村だったので郵便局はこれが元になっています。
局内に昔の局舎に掲げられていたという古い局名看板が飾られています。

25局目 釜口簡易郵便局
国道から集落内を通る古い道路に入っていくと住宅の並びに郵便局があります。
かなり民家そのものの外観で、入る前から興奮気味でしたが、入ってみるとお昼ご飯にチャーハンでも食べたのかタマネギを炒めたようなニオイがしていて、そのことが強く印象に残りました。




26局目 河原 (かわはら) 郵便局
ここから国道沿いに北上し、千代川 (せんだいがわ) を渡ると河原の町中に入りますが、かつては河原町という独立した自治体で、古くは城下町だったので、城跡の石垣も残っている情緒のある田舎町です。郵便局は去年に取集業務が廃止されているはずですが、依然として集配車が駐まっており、裏手には集配関係者がうろついていたので、詰所として今も使われているようでした。


 

河原から西方向の谷に入り、裏手に元集配局の名残のある因幡西郷郵便局、民家そのものの北村簡易郵便局などに寄ったあとは北の山を越えて、神戸 (かんど) 郵便局に抜けるというプランでしたが、地図をよく眺めてみると山越えをする道路が途中でプッツリと切れていることがわかりました。北村簡易郵便局の人にも確かめてみましたが、やはり神戸への通り抜けはできないようです。
しかたないので、河原まで引き返すことになりました。


30局目 国中簡易郵便局
因美線の河原駅の駅前にあります。
河原駅は河原の町中からだいぶ離れたところにあるのです。
外から見たときは先客がいるものだとばかり思っていましたが、中に入ってみると人影だと思っていたものは等身大のぬいぐるみ人形でした。


31局目 船岡郵便局
ここで残り15分ということになって、次にどの郵便局へ行くのかという状況でgoogle先生に問い合わせたところ、大伊簡易局までは11分、隼簡易郵便局までは3分で、隼局に寄ってから大伊に向かうと4時ギリギリじゃないかという予想がしたので、ここはじっと辛抱して大伊簡易局に向かうことにしました。


この日のラスト、大伊簡易郵便局
船岡から7キロ、所要時間11分ということでしたが、ほぼ一本道なので10分もかからずに到着。
なんとまだ15時50分過ぎくらいで着いてしまって拍子抜け。
しかし、この郵便局は山間の小盆地にポツンとあるような局なので、ここからどこへ向かうというわけにもいかずここで打ち止めということになりました。

2000年に一度移転していることになっていますが、局員の女性は赴任してまだ間もないらしくて、そんな過去はご存知ありませんでした。番地としてはほとんど変化していないので、局舎を母屋から分離したという程度のことかも知れません。

さてここで、この郵便局が本日の最終となりましたので、前夜に姫路の方で拝領してきたスピード違反金の払込書の処理をしてもらいました。赤い紙の中央にでっかく全国どこの郵便局でも払い込めますと書いてあるのにも関わらず、局員さんは県外のキップを受け取っていいのかどうかわかっていなくて、わさわざ電話で本部に問い合わせておりました。こんな山奥で違反金の払い込みする客なんていないんでしょう。こっちもバツが悪くて惨めな気分になってきたのでさっさと退散したかったのですが、郵便局を出たのは結局4時15分くらいになりました。



● おまけ

用瀬に戻るあたりの山里で撮影したブログヘッダー用画像。
結局ブログにうまく嵌め込めなくてtwitterの方に使いました。


(この撮影のために脚立をわざわざ積み込んできました)

撮影地の近くでニホンザルの群れが跋扈していて、撮影中も怖くてしょうがなかったです。


●通帳画像


今回はわりと宝のゴム印が多いです。



鷹巣の巣が旧字体風味になっています

左にあるよくわからないものは名物ツチノコ

左は土着行事の 「流し雛」 、右はこの辺の郵便局共通で使われてるマスコット 「因幡の白ウサギ」

左の物体は西郷地区で作られてる牛ノ戸焼の作品だと思います。

これはちょっとわかりにくい。
隼はの地区の名前ですが、このシルエットはスズキの「隼」というバイクです。
こんなのバイク乗りくらいしかわからないので、局員の中ににスズキ信者が潜んでいるんでしょう。




そして、今回一番よくわからなかったのがこの左側の飛び跳ねたパンダ状の物体

いろいろサーチした結果として、佐治にあるアストロパークのマスコットキャラクター
「キラットちゃん」 であることが判明いたしました。
http://www.tottori-guide.jp/characters/12469.html
【参考画像】キラットちゃん


●所要時間

走破距離 200.7km



おわり