2017年1月17日火曜日

【局めぐり記】 四万十川源流から河口の中村へ


この局めぐり記は12月30日に高知県内をまわったときの記録です。

http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=14
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前日の局めぐりの結果についてはこちらの記事の通り。
高知市内から須崎市内に移動し、道の駅すさきという所で仮眠を取った。
須崎市については2年前の年末に訪れたことがあるのでこれが2回目となる。

今回一局目として目指す興津は須崎から30キロぐらい先にあるが、高知自動車道は須崎西から先が無料となっており、8:00頃に出発したので、これなら余裕だうろうと思っていた。ところが実際には窪川から先の道のりがすごく遠くて、30キロどころではなかったのだ (実際には40キロ近くある)

さらに今回の旅は腹痛に悩まされることが多く、この日も朝から腹が痛くて堪らなくなった。



興津の集落は太平洋に面した集落で、町の中心である窪川から直線で8キロ、実際の道のりは18キロになり、直線距離と道のりが大きく乖離していることがわかる。

最初に高知県南部の地図を拡げてみたときに、ここを一局目にするしかないと思ったので、今回はこれをベースにして経路を決定した。

高速を下りて、国道から興津方面に分岐する県道に入ったところで、興津まで17キロと書かれていて、その時点で9:00までに間に合うかどうか怪しいと思ったが、とにかく今はそんなことよりも腹が痛いのを何とかしなくてはならないので。興津までひたすら前進することにした。海辺にはだいたい公衆便所があるからである。

上の写真は、峠のトンネルを抜けたところにある見晴台からの風景。
標高290M前後ある峠から一気に海抜0まで下りていくので、上から見下ろした景色は鳥瞰図のようになる。朝日の方向を向いているのであまりうまく撮れなかったが、日中はかなりいい景気になると思われる。しかし、実際には景色を楽しむ余裕はなかった。
ここから道路は激しく蛇行を繰り返し海辺までずんずんと下っていく。道はそれほど狭いというわけでもないが、カーブが連続するので中央線をはみ出た対向車が次々と襲ってくる。興津からの通勤者は毎日こんな道を通って大変だと思う。


1局目 興津郵便局
興津の集落は漁村というよりも海辺の湿地帯みたいなところで、漁港は東の隅っこの方にあり、郵便局はそこへ至る道の途中、集落でもかなり外れたところにあった。
郵便局は鉄筋コンクリート平屋建て、見た感じ元集配局ではないかと思ったが、全くそんなことはなかった (この辺の集配はかつては東又局がやっていた) 朝日が当たらない位置にあるので薄暗くてジメジメしている。ここには結局9:02くらいに到着しているが、有り難いことに局の向いにトイレがあったのでそっちの方へ先ず飛び込んだ。個室の壁一面にくたびれた感じの花の写真が貼り詰められていたのが印象的だった。

ちなみに興津は天然の良港を持っていて漁業も有名だが近年はミョウガの栽培で稼いでいるらしい。地名の由来は「沖の津」から来たのではなくて、江戸時代に4つの村から成立していたので與津村(よつむら)と呼んでいたのを昭和23年になって興津村に字を変えて、読み方もこれに合わせてついでに変えてしまったとのこと。4つあったうちの2つの村は既に海に沈んでしまったというからここら辺の地殻変動の激しさは凄いものがある。

http://maps.gsi.go.jp/#15/33.174485/133.207984/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
クリックすると国土地理院の地図がでます

興津から東又にかけてのルートを地形図で見るとこんな感じになっている。
興津の集落の出入口はこの道一本しかないというという完全な行き止まり集落である。海岸伝いの道路は、戦前の地図などを見ると描かれたりするが、今は徒歩でもいけるかどうか怪しい。
ついさっきここまで来るのにやってきた道をまた引き返すと思うと気分的につらいが、始点局にしたので、往路を時間外にすることができるのは魅力的だ。
すっかり腹も癒えたので、今度は勢いよくアクセルを踏み込み東又に向かうことにした。

2局目 東又郵便局までは結局20分近くかかった。
ここが標高240mなので、それだけの坂をいまさっき登ってきたのに、次でまた海まで下りることになる。自転車で来ていたら気分が悪くなりそうなコースだ。


3局目 志和郵便局
東又から志和へ至る道もヘアピンカーブが連続したキツい道で、眼下に集落が見えているのにもかかわらずなかなか着かないようになっている。
局舎は興津と同じようにコンクリート製のものだが、こちらも元集配局であったわけではない。かつては東又がやっていたはずだが、今は窪川郵便局の方から集配に来ている。

この集落は車を出た瞬間からあまりの臭気に驚いた。海辺の町なのに下肥の臭いが充満している。ここら辺に温室などないから畑に撒いた肥料が原因と思えないが、しかし実際に町じゅう凄まじい糞尿の香りが漂っているのであった。


朝だからなのか、郵便局のまわりには人がぼちぼち歩いていたりする。
一通り局舎の撮影が終わって、立ち去ろうとしていると、そんな朝の人の流れの中から凄まじい風貌のばあさんが現れた。
あまりに一瞬のことなので違和感に気づくまで少しタイムラグが生じてしまったが、頭髪が灰色に染め抜かれ、盛りに盛った髪の毛がペガサス昇天盛りみたいになっていた。
付近の人は誰も気にしていないのでここら辺ではごくありふれた光景なのかもしれない。
とにもかくも記念撮影。しかし怖すぎて近づくことはできなかった。頭部をでかく見せるという行為は動物にとっては「威嚇」に他ならないからだ。


2017年1月15日日曜日

【局めぐり記】 高知県大豊町から高知市へ

この局めぐり記は12月29日に高知県内をまわったときの記録です。

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前日は午後3時に家を出て、途中寄り道しながら徳島市に着いたのが夜の10時。そこから吉野川沿いにのらりくらりと遡上を行い阿波池田に到着したのが深夜の1時。
町外れにある静かな運動場で仮眠を取った。
翌朝起きてみると気温が-1℃になっており、朝から霜取りの作業を行わなくてはならなかった。

今回のルートは徳島県から高知県に入った直後の大豊町からスタートとなる。
徳島連側の祖谷渓(いやだに)や大歩危(おおぼけ)の辺りは2010年に全て回っているため、今回は県境を挟んで高知県側の西峰局から出発となる。

 
途中、局舎を新しくしたという出合簡易郵便局に寄った。
この郵便局は2013年まで直営の郵便局だったが、簡易局に格下げしてしまった郵便局だ。しばらくは年季の入った木造モルタル2階建の建物を使っていたが、昨年辺りに建物を新築したらしいと聞いていた。写真の建物は旧局舎の北側の敷地に新築されたもので、かつての局舎は跡形もなくなっていた。
あと、2012年に旧役場施設に移転した東祖谷郵便局の撮影もしておきかったが、こちらに寄っていると1時間以上ロスしてしまうので今回は寄らなかった。


1局目 西峰郵便局
豊永駅の分岐から国道32号線を離れて10キロの山あいに入った所に存在する。
ここが高知県の北部で奥まったところにあるので、もしかすると他にもここからスタートした経験のある人がいるかもしれない。
局には9:00前には到着していたが局内に入るとすでに先客が居た。そして処理をしている間も続々とお客さんが入ってくる。ここの局長さんは親切にも遠くからやってきた私におみやげを持たせてくれるとのことで、奥から金ピカの丸ポスト型貯金箱を出してきてくれた。今の今まで局を回ってきて貯金箱をもらったことなんて初めてのことだった。 ありがとうございます。



標高560Mに達する西峰集落。
四国山地の嶮しい山にへばり付くように帯状の集落がずっと奥の方まで続いている。四国の山々はどこまで行っても人が棲んでいるという印象がある。
ここから東豊永までは道が悪くて、車のすれ違いが困難な山道が7キロ近くも続く。


2局目 東豊永郵便局
この郵便局自体に特にエピソードはないが、この局に辿り着く直前に急に腹の調子が悪くなり、東豊永の集落に近づいたころにはもう我慢のできない状態に陥っていた。なぜか今回の旅では朝と夜に腹痛に見舞われることが多く、この日も2局目からいきなりの緊急事態となった。
このあたりの道路はバイパス道が開通していて、何も考えずに走っていると郵便局のある通りに入ることなく通過してしまうのだが、トンネルの手前で脇道に入り、橋を渡ることによって集落内にアプローチすることができる。とりあえず川の向こうにはガソリンスタンドが見えるから、そこでトイレを貸してもらおうと必死の思いだった。ところが橋の所まで下りてみると何らかの事情で全面通行止となっておりこの時点でもう限界寸前だったので思わず悲鳴が漏れ出てしまった。

結局、バイパスを引き返して2キロくらい遠回りして川の反対側までたどり着いた。 必死だった。

ガソリンスタンドは、給油所というよりも個人商店の庭先にポンプがあるだけというものだった。
車を横付けしたところで都会のスタンドみたいに店員が威勢よく飛び出してくることはないので、商店の中に入って、カウンターにいるおばさんにお願いして給油してもらった。そして、その間にトイレに籠もって何とか今回の事態をやり過ごすことに成功した。
ガソリンはもともと尽きそうだったのでついでに給油も行えてとりあえずめでたしめでたし。
ちなみにガソリンはこの時、地元では1リッター120円。こちらに来ると130円を超える。
高知県というのは全国的に見てもガソリンは高いのである。
徳島県はやや安いが、2円程度のことで、高知県は南に行くほど高くなって土佐清水辺りまでいくと135円を超えたりするのでこの先大変なことになる。


3局目 大久保郵便局
国道32号線沿いにあるのでとても分かりやすい。
山奥にある小さな郵便局にもかかわらず見た目とてもモダンな感じの外観になっている。そして、局内の雰囲気も実に素敵なので気に入ってしまった。
局の窓口の空間部分が2階へ突抜けになっていて、壁伝いに2階へと上がる階段もこの空間から見える形で配置されている。2階部分はちょうどロフトのように事務室の上に迫り出している。
まるで喫茶店みたいなモダンな建築だ。

階段一つをとっても客から見えるようになっているから、これは明らかにデザインとして意識した配置になっているし、窓から注ぎ込む陽の光が窓口を照らしていてとても印象的であった。
局長の話によると昭和45年の建築で、鉄筋コンクリート造だそうである。
それほど古い建物というわけではないが、局舎の前面にサッシを広く取ったり、縦長の窓を配置するのは戦後直後の公共建築で流行ったスタイルであった。


2017年1月9日月曜日

あけましておめでとうございます。

遅れましたが、新年あけましておめでとうございます。

年末年始はほとんど旅に出ていたのでバタバタしていましたが、年始も仕事が重なりサイトを更新している余裕はないような状態でした。

おかげさまでサイトの方はある程度訪問している人がいるみたいで、レンタルサーバで割り当てられている月の転送制限容量を9割くらい食っていますが、ようするにこれ以上訪問者が増えるとサイトがパンクするらしいです。


さて、今年もマイペースに活動してまいりますが、今年から月に2日ほど土日出勤の当番があるので、代休を使って月に2日か3日くらいのペースを回っていけるだろうと思います。
いずれにしても8000局までいけるかどうか勝負の年になると思います。

【局めぐり記】 上州水上から前橋市内へ


この局めぐり記は11月4日に群馬県内をまわったときの記録です。

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前日は長野県の伊那盆地の方からひたすら夜中に北上を続けて山中盆地というところまで辿り着き仮眠を取った。ここは長野県上田市から群馬県沼田市に抜ける道路の途上にあって、山の中に小さな庭のような盆地が広がっている。

今回群馬県を選んだのにはいろいろと理由があるが、それは郵便局を回るのとははあまり関係がなくて、詳しくはまた機会があったら書こうと思うが、とにかくせっかくの休みなので遠出することにしたのだった。



山中盆地から沼田方面へ駆け下りていく道の途中に広がるのはリンゴ畑と段々畑。
この日は一日中、ずっと快晴で絶好の局めぐり日和となった。


沼田のあたりではそうでもなかったが、湯桧曽から藤原方面の道路をあがっていくと山はすっかり紅葉が始まっていた。

本日1局目となる水上藤原郵便局には8:45頃に到着した。
普段あまりにも朝の動きがトロいので、9:00に間に合うことはほとんど無いので奇跡といえる。
それで、少し余裕があるので郵便局から坂道を登っていった先、雲越家住宅のある辺りまで行って、ポストの撮影をしてから再び郵便局のある所まで戻ってきた。



1局目 水上藤原郵便局
群馬県の北の、どんづまりのような集落にあるわりに局舎の風情は特にない。
郵便局としてはけっこう歴史があると思ったが、開局は昭和13年だと町史には書いてあった。
ここからさっきやって来た道を引き返して湯檜曽(ゆびそ)局へと向かう。距離は2局目にして13キロもある。


2局目 湯檜曽郵便局
上越線の湯檜曽駅のすぐそばにあって大変わかりやすい立地になっている。
ここは地名のさすとおり温泉のある町だが、郵便局はその温泉街よりも下手に存在しているため、あまりそういった雰囲気は感じられなかった。かつての郵便局はその温泉街の方にあったらしい。しかし、あとでストリートビューで見た感じでは建物は残っていないし、町並みもけっこう寂れた感じがした。


ちなみにこれが郵便局のすぐそばにある湯桧曽駅である。
建物が便所みたいなものしかなくて、たいへん心細い駅になってしまった。
かつては土合駅と同じような大きな切妻のコンクリート製局舎があったらしいが既にその面影は無かった。この駅もかつてはもう少し上流の方にあり、しかもかなりの高所に立地していたらしい。くわしいルポが紹介されているので興味がある人は見られたし。
廃駅のホームに至る長大な漆黒の回廊は奇跡的にかつてのホーム跡へと繋がっているとのこと。