この局めぐり記は12月30日に高知県内をまわったときの記録です。
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高知市内から須崎市内に移動し、道の駅すさきという所で仮眠を取った。
須崎市については2年前の年末に訪れたことがあるのでこれが2回目となる。
今回一局目として目指す興津は須崎から30キロぐらい先にあるが、高知自動車道は須崎西から先が無料となっており、8:00頃に出発したので、これなら余裕だうろうと思っていた。ところが実際には窪川から先の道のりがすごく遠くて、30キロどころではなかったのだ (実際には40キロ近くある)
さらに今回の旅は腹痛に悩まされることが多く、この日も朝から腹が痛くて堪らなくなった。
興津の集落は太平洋に面した集落で、町の中心である窪川から直線で8キロ、実際の道のりは18キロになり、直線距離と道のりが大きく乖離していることがわかる。
最初に高知県南部の地図を拡げてみたときに、ここを一局目にするしかないと思ったので、今回はこれをベースにして経路を決定した。
高速を下りて、国道から興津方面に分岐する県道に入ったところで、興津まで17キロと書かれていて、その時点で9:00までに間に合うかどうか怪しいと思ったが、とにかく今はそんなことよりも腹が痛いのを何とかしなくてはならないので。興津までひたすら前進することにした。海辺にはだいたい公衆便所があるからである。
上の写真は、峠のトンネルを抜けたところにある見晴台からの風景。
標高290M前後ある峠から一気に海抜0まで下りていくので、上から見下ろした景色は鳥瞰図のようになる。朝日の方向を向いているのであまりうまく撮れなかったが、日中はかなりいい景気になると思われる。しかし、実際には景色を楽しむ余裕はなかった。
ここから道路は激しく蛇行を繰り返し海辺までずんずんと下っていく。道はそれほど狭いというわけでもないが、カーブが連続するので中央線をはみ出た対向車が次々と襲ってくる。興津からの通勤者は毎日こんな道を通って大変だと思う。
1局目 興津郵便局
興津の集落は漁村というよりも海辺の湿地帯みたいなところで、漁港は東の隅っこの方にあり、郵便局はそこへ至る道の途中、集落でもかなり外れたところにあった。
郵便局は鉄筋コンクリート平屋建て、見た感じ元集配局ではないかと思ったが、全くそんなことはなかった (この辺の集配はかつては東又局がやっていた) 朝日が当たらない位置にあるので薄暗くてジメジメしている。ここには結局9:02くらいに到着しているが、有り難いことに局の向いにトイレがあったのでそっちの方へ先ず飛び込んだ。個室の壁一面にくたびれた感じの花の写真が貼り詰められていたのが印象的だった。
ちなみに興津は天然の良港を持っていて漁業も有名だが近年はミョウガの栽培で稼いでいるらしい。地名の由来は「沖の津」から来たのではなくて、江戸時代に4つの村から成立していたので與津村(よつむら)と呼んでいたのを昭和23年になって興津村に字を変えて、読み方もこれに合わせてついでに変えてしまったとのこと。4つあったうちの2つの村は既に海に沈んでしまったというからここら辺の地殻変動の激しさは凄いものがある。
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興津から東又にかけてのルートを地形図で見るとこんな感じになっている。
興津の集落の出入口はこの道一本しかないというという完全な行き止まり集落である。海岸伝いの道路は、戦前の地図などを見ると描かれたりするが、今は徒歩でもいけるかどうか怪しい。
ついさっきここまで来るのにやってきた道をまた引き返すと思うと気分的につらいが、始点局にしたので、往路を時間外にすることができるのは魅力的だ。
すっかり腹も癒えたので、今度は勢いよくアクセルを踏み込み東又に向かうことにした。
2局目 東又郵便局までは結局20分近くかかった。
ここが標高240mなので、それだけの坂をいまさっき登ってきたのに、次でまた海まで下りることになる。自転車で来ていたら気分が悪くなりそうなコースだ。
3局目 志和郵便局
東又から志和へ至る道もヘアピンカーブが連続したキツい道で、眼下に集落が見えているのにもかかわらずなかなか着かないようになっている。
局舎は興津と同じようにコンクリート製のものだが、こちらも元集配局であったわけではない。かつては東又がやっていたはずだが、今は窪川郵便局の方から集配に来ている。
この集落は車を出た瞬間からあまりの臭気に驚いた。海辺の町なのに下肥の臭いが充満している。ここら辺に温室などないから畑に撒いた肥料が原因と思えないが、しかし実際に町じゅう凄まじい糞尿の香りが漂っているのであった。
朝だからなのか、郵便局のまわりには人がぼちぼち歩いていたりする。
一通り局舎の撮影が終わって、立ち去ろうとしていると、そんな朝の人の流れの中から凄まじい風貌のばあさんが現れた。
あまりに一瞬のことなので違和感に気づくまで少しタイムラグが生じてしまったが、頭髪が灰色に染め抜かれ、盛りに盛った髪の毛がペガサス昇天盛りみたいになっていた。
付近の人は誰も気にしていないのでここら辺ではごくありふれた光景なのかもしれない。
とにもかくも記念撮影。しかし怖すぎて近づくことはできなかった。頭部をでかく見せるという行為は動物にとっては「威嚇」に他ならないからだ。
志和から海伝いに少し進むと大矢井賀の集落となる。
近いと言ってもここからは中土佐町に入る。この集落には矢井賀簡易郵便局があるのだが、漁協がやっているためか貯金の取扱はない。写真を撮るために郵便局の前までいってみたがこの日は休業日でもないのにシャッターが閉まっていた。とくに用はないので苦情は言わないが、これが寄る予定の局だったら本社まで電話を入れて開けさせているところだ。
5局目 久礼郵便局
「くれ」と読む。中土佐町の中心にあたる町で、スーパーもあったりしてなかなか賑わいのある所となっている。この日は僻地みたいなところばかり回っているのでこの程度の町でも都会に見えてしまうのであった。
ちなみに、上ノ加江からは新しいトンネルができたりしてわりと簡単にこれるが、久礼の町の手前で左にカーブするときに右折してきちんと橋を渡っておかないと、この小さな川を渡る橋が国道までないので遠回りすることになる。
6局目 安和 (あわ) 簡易郵便局
国道沿いに雪国みたいな屋根をした小さな局舎がある。
以前は別のところにあったのが移転したものらしく、今回は旧局舎の撮影はできなかったので、またの機会としたい。局内には郵便局のカレンダーが一枚残っていたのでもらうことができた。この手のカレンダーはよく郵便局に掛かっているのは見るけれども配布しているところを見る機会は滅多にない。今回の旅でもカレンダーを配っている場面はここでしか見られなかった。
定額貯金をしたら干支の置物がもらえるとかじゃなくて、郵便局のカレンダーがもらえるなら毎年やるのだが。
7局目 須崎新荘郵便局
新荘といえば2016年のゆるキャラグランプリで優勝したのは須崎市のマスコットの 「しんじょう君」 だった。2012年に絶滅種指定されたニホンカワウソは1979年、新荘川で発見されて以来行方不明となっているが、これをベースにしたマスコットキャラクターで、頭に乗っけているラーメンみたいな物体は鍋焼きラーメンという地元の名物だとの話である。ちなみにこのラーメン部分は着脱式で、外すとどう見てもうまい棒のパッケージにある奴 (名前はないらしい) と同じような見た目になる・・・と、ここまで、よく知っているような体で話を進めたが、「しんじょうくん」 について知ったのは高知県にきて高知新聞を読んで知ったからであって、こんなキャラクターが存在しているなど高知県以外ではあまり知られていないことを県民はよく知っておくべきだと思う。私が高知のマスコットといって真っ先に思いつくのはカツオとじばにゃんを足したような 「カツオにゃんこ」 君 (※) の方である。彼は今回のゆるキャラグランプリには出なかったのだろうか。
ちなみに新荘郵便局の窓口にはしんじょう君のぬいぐるみがきちんと坐っている。
※ カツオにゃんこ君はじばにゃんより先に登場しているのでパクリではない。たまたま見た目のセンスが被っていただけ。
葉山西郵便局の駐車場に駐めると目が合う隣家のネコ。 |
10局目 葉山西郵便局
須崎新荘、上分簡易、葉山と新荘川流域に入ってからずっと国道沿いに郵便局があるのでちょっと油断していたが、この郵便局は国道から一本入った旧道沿いにある。
局長さんの話では、旧局舎は現局舎の左隣にあったそうだが、それは局の駐車場になっており当時の面影は残っていない。
かつては「上半山」という局名だった。葉山郵便局も 「半山」 と表記していた。葉山になるとどことなく海辺の別荘地みたいな響きになってしまうが現実は山の中の過疎地帯である。
11局目 船戸郵便局
新荘川を源流まで上り詰めると布施ヶ坂という峠があり、郵便局はそのトンネルを抜けた西側に存在している。四万十川の源流に近いところで標高420m、それに対して葉山西は標高120mしかないのでわずか一局の間で300mも登っていることになる。つまり東又から興津の間よりも標高差はあるということになる。現在は道路の改良が進んで、ずいぶん快適なドライブウェイになっているが、かつては峠越えが困難な区間であった。
なお、局舎は集配局だった名残を残しており、局内はちょっとした民芸品が飾られていたりして趣味の良い感じになっている。
12局目 寺野簡易郵便局
船戸から国道を離れて南方向へと向かう。
ここから先は県道19号に沿って大野見方面に四万十川を下っていく。
寺野は大野見に抜ける途中にある郵便局で、切妻の商家風の建物が郵便局をやっている。局長さんはわりと若い?女性で、三重から来たと知ると驚いていた。
ちなみになぜ今回、こんな僻地に来てしまったのかというと、ちゃんと理由があって、高知県内で30日に営業している簡易郵便局という条件で見たときに、須崎市から四万十市にかけての一帯しか残らなかったのである。そのことについてもここで説明しておいた。
郵便局の近くには小学校が建っていて、体育館の中から人の声が聞こえてきたが、もちろん廃校となっていた。今は福祉施設になっているそうである。
「北小学校」という素っ気ない名前 |
竹原簡易郵便局 |
14局目 竹原簡易郵便局
こちらの郵便局は2015年に移転したもので、集落への入口付近にプレハブを建てて営業している。ここも驚いたことに若い女性だ。以前の受託者が高齢になって降りるので、かわりに継いだというが局前に車が駐まっていることから、地元の人ではなくて遠くから通ってきている人だろう。一時閉鎖期間もなくていきなり移転しているので、うまく後継者を見つけてきたのだと思う。
ここで、局内にタウンページの古いものがあったのでいただいてきた。公衆電話からパクるくらいしか入手法がないタウンページだから、せっかくの機会におみやげにしたのである。
旧中津川郵便局 |
15局目 中津川簡易郵便局
S字型に大きく蛇行する四万十川に沿って進み、中津川の集落で橋を渡ると正面にまず1986年に廃止になった中津川郵便局の建物が見えてくる。今は表札がかかって個人の住居となっているが、建物の感じからして郵便局だとわかる。そして、その左隣に後を継いだ簡易郵便局がある。
どう見ても個人宅といった感じの佇まいで、これこそが簡易局らしい簡易局といえる。
局内に入ると誰もおらず、大声で呼んでも出てくる気配がないが、これなんかも簡易局らしいゆるさが漂っている。結局、となりの母屋の玄関を開けて呼んだら奥から 「ハイハイ」 と出てきた。
1986年というと、もうかれこれ30年も前からやっていることになる。この過疎を極めた山間集落で30年も。そしてあと10年後にまだあるという保証はない。竹原のようにうまく後継できたならいいが、こういう土地ではお客さんも滅多に来ないわけで、ずっと続けているのは難しい。簡易局は永遠にあるわけではないから、できれば早いうちに回っておきたいと思っている。
米奥地区にある清水ヶ瀬沈下橋。この地区には2つの沈下橋がある |
旧松葉川郵便局局舎 |
松葉川というのは地名というよりもこの辺一帯にあった旧松葉川村の名称に由来するらしい。現在の郵便局に着く前に、農協の向かいにいかにもな廃屋があったので局長に訊いてみたところ、たしかにそれはかつての郵便局だったということが分かった。先代の郵便局は現在と同じ位置にあったので、これは2代前のものということになる。局長が子供の時にすでに廃屋になっていたというから現役は昭和30年代以前だと思われる。
それにしても良い感じの佇まいだ。すでに建物としては朽ちる果てるしかないという感じだが、昨今の倒壊の危険性のある廃屋を排除する動きの中ではいつ壊されてもおかしくはない。
17局目 仁井田郵便局
松葉川から仁井田に抜けるのにちょうどいいだろうと思い県道324号を利用したが、これはなかなかのひどい道路だった。今回走った区間が全区間だというからかなり短い県道である。検索してもたいして情報はないが、峠にあるトンネルは大正時代のものだそうで、全線に渡りその時代から改良されていないような極細の路地が続いている。幸いにも対向車は来なかった。こんな道路は地元民も使わないから当たり前だが。
19局目 窪川郵便局
窪川は四万十町の中心となる町なのでけっこう栄えている。コンビニだってある。
この局の一つ前、影野簡易局からは高速道路に乗って南下する予定だったが、影野の近くにある四万十町東IC (東と言うよりも北だと思うが) から乗ると須崎方面にしか行けないということがギリギリの所で判明し、国道を黙々と走行してきた。この事実がわかっていたなら松葉川から影野に抜けて、仁井田、窪川の順番でくればよかったのだ。事前によく調査するべきだった。
さて、ここから進路を西に移して四万十川沿いにしばらく下降してゆく。海を背にして流れていることになるが、この不思議な流路は四万十川をいっそう神秘的なものにしている。
窪川は今朝に居た興津からは8キロ離れているが、窪川のある高南台地はその東縁部は海まで2キロくらいしかなくて、ここに屏風のような山稜があって、その向こうは断崖絶壁の海辺となっている。窪川は四万十川流域としては中流にあたり、すぐ近くにある海へは直行せずに、西へと迂回して130キロもかけて河口へと向かうのである。
21局目 北ノ川郵便局
宇和島方面に向かう国道はかなり快適な道路で、その道路沿って2つの郵便局がある。
局内には局員が一人だけしかいなくて随分と寂しい感じの郵便局だったが、近くにある旧局舎は木造2階建ての立派な建物で、国道を走っている段階で遠くにあるのが見えるくらいだった。建造は昭和13年とのこと。
ここで四万十川を離れて東に逆戻りする。次の荷稲(かいな)郵便局まで13キロもある。
ところが、旧局舎の撮影をして集落の中をぐるっと回っていたらいつのまにか古い峠道の方に入り込んでしまい、このまま暫くすると国道に合流するかと思いきや、どんどん高度をあげていきので、ヤバいと思い引き返すことになった。この道は結局峠の向こうまで続いていたらしい。
また国道に戻りしばらく来た道を戻る。短いトンネルを越えた先で右折し、暫く進むと家地川駅が見えてくる。ここから先はまた峠道が続くことになる。
家地川から先は予土線に沿って東方面に向かうが、途中に日の谷峠というピークがあり、ここからは海に向かってものすごい勢いで高度を下げていくことになる。ちょうど興津峠と同じく、西側だけが高くなっている峠で、軽井沢の碓氷峠なんかに似たタイプである。
ここを通る路線はJRと土佐くろしお鉄道があり、ループしたところから宇和島方面に向かうのがJR予土線、東の中村方面に向かうのがくろしお鉄道となる。このループしたトンネル部分はくろしお鉄道が使っている部分で、予土線はこのループを経由せずにギリギリのところでこれを交わしている。厳密にはJR線はループの結束した部分にある川奥信号所から西の部分であって、それ以外はくろしお鉄道の路線となっており、たとえば時刻表の路線図などを見ても、窪川から家地川の2駅間だけはJRが繋がっておらず、青春18切符では別料金区間となる・・・というような話は鉄道好きならわりと知られていると思うが、実際に現場を見た人は少ないのではないか。
路線図を見ているだけではわからないが、現地を通るとなぜこの構造になっているのが理解できる。くろしお鉄道はこの分岐点から荷稲駅に向かうときにあまりに標高差があるのでトンネルを一周させているのである。ほとんどトンネルになっているので県道からは実態は想像するしかない。途中で踏切があるので、そこから信号所が見えるくらいである。
ちなみに、日の谷峠の部分をかつては四万十川が流れていて、そのまま急下降して佐賀の港まで注ぎ込んでいたというが、それは何万年も昔の話である。その頃は四万十川は梼原から東方向へと流れていたが、南海トラフの影響で興津一帯の土地が隆起して山稜となったときに出口を失ってしまい、西方向に流れを変えてしまったことになる。
22局目 荷稲郵便局
ここから国道56号線のルートに入る。郵便局は稲荷ではなくて荷稲と書き 「かいな」 と読ませるなかなかクセのある局名である。地区の名前は拳の川 (こぶしのかわ) という強そうな名前をしている。郵便局の周囲には人家がほとんどなくてかなりのどかな所だ。
半分隠れているような局舎の佇まいは慎ましく、局内には局長一人だけしかいなかった。
23局目 佐賀郵便局
荷稲の局で場所を訊いたとき、集落の中にあってちょっと説明しづらいと言われた。この場所にはかつての町役場が建っていたらしい。
ここでガソリンが尽きそうになっていたので給油しなくてはいけない。実は北ノ川を出た時点でせやばくなっていたが、どこにもガソリンスタンドがないので焦っていた。幸いなことに佐賀の町にはスタンドが3つもある。前日の東豊永で給油できたのもそうだが、高知県はどんなところにもガソリンスタンドがあって、よほどの山奥ではない限り給油に困ることはない。ただ、ガス欠にビクビクしながら局を回っているというのは根本的に間違っているので、事前にきちんと給油しておくことが望ましい。
15:00を過ぎていよいよ追い込みをかける時間帯がやってきた。佐賀から先は国道沿いに郵便局が断続的に立ち並ぶ地域で、かなりスムーズな進行が期待できる。
浮鞭と書いて 「うきぶち」 という難読な局名は一度聞いたら忘れることはできない。音の響きも「鞭
」という漢字を使うところも独特のセンスを持っている。由来については調べてみたがよくわからなかったが、「ぶち」 は淵か縁のことをさすと思うので、何かが浮いてるところの辺縁部という自然地名の一種ではないかと思う。
局内には海の方を向いて望遠鏡が設置されていて、覗いて見ることができる。遠く水平線の向こうに漂う貨物船のようなものがゆらゆらと映った。
28局目 田野浦郵便局
大方局の次は国道を離れて海岸伝いの県道に入る。田之浦は静かな漁村といった佇まいで、郵便局はその漁港に面したところに建っている。
局を訪れたときは全く気づいていなかったが、この局舎は2003年に移転してから使われているもので、そうすると新しい建造物のはずなのに、見た目の感じとくに新しいと感じない。どちらかというとJRの無人駅みたいな佇まいの建物であった。
ここからまた海岸伝いに車を走らせて四万十川河口の町・下田を目指す。
29局目 下田郵便局
地図ではわかりにくいが下田の郵便局は川沿いにある県道の方ではなくて、その一本入ったところ、旧道の方にある。局の前には一台だけ駐められるペースがあるが先客に取られていて、それ以外に駐めるところもないので、路上にむりやり寄せて駐めるしかなかった。
こちらの郵便局は建物の見た目でわかるとおり元は集配局で、2005年まで集配業務が行われていた。しかし、正面を見ただけではどこから集配車を突っ込んでいたのかわからない構造になっている。どうやら県道側、つまり裏側からヤードの方に入る通路というのがあるらしく、もしかするとそちらにも駐車場があったのかもしれない。
いずれにしても、この日はこの郵便局まで辿り着くのが目標だったので、ここまで見れてめでたしめでたしであったが、ここでさらにあともう一局行けるんではないか?という気分になった。この時点で15時50分、あと残り10分もある。
30局目 中村八束(やつか)郵便局
というわけで、下田から飛ばしに飛ばして四万十川の反対側に渡り、最後の郵便局になだれ込むことに成功。実際には下田からそれほど時間はかからないので飛ばす必要もなかった。
ここもあとで知ったが2002年に移転したらしいので、建物はまだ新しい方ということになる。なんとなく新しさを見いだせないのは切妻造りという古いセンスだからだろうか。これもあとで気づいたが、局の前に立っているポストは寸胴の11号型で、高知県内には6本だけが確認されている。
◇
では最後に写真の記録データをもとに訪問時間と移動コストを見てみましょう。
行程上のミスとしては影野から窪川まで高速を利用する算段だったのができなかったことと、北ノ川の集落で旧道に迷い込んで引き返したことでしょうか。あと、佐賀でガソリンもだらだら入れてたし、朝一でトイレに籠もってたし、スムーズとは言い難いような一日でした。これがなければあと2局いけてたと思いますが、まぁ、実際に計画を立てた段階で下田までギリギリ到着という見積もりをしていたので、これはこれでうまくいったんだと思います。
驚いたことに15:00を過ぎてからの残り1時間で7局も行ってるという事実で、やはり最後の一時間のブーストは凄いということを実感しました。
須崎新荘はニホンカワウソ。仁井田は稲穂。佐賀はカツオの絵です |
四万十川の河口部分の夕景。水面に反射してちょっと幻想的 |
最後までお読み下さりありがとうございました。
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