今回は5月29日に行いました忽那諸島の局めぐりツアーの模様を報告していきます。
参加された方、どうもお疲れ様でした。
◆ コースとスケジュール
軽く今回の行程について紹介しておきます。詳しいことについては以前のブログ記事にて書きましたが、いろいろと細かい調整があって時間とか費用が変化しています。
場所は愛媛県松山市の西部、瀬戸内海を山口県に向かって断続的に並んでいる忽那 (くつな) 諸島という離島群を中心として、山口県に属している柱島や、松山市至近の興居島 (ごごしま) もついでに回るという欲張り企画です。普通に定期船を使うと忽那諸島だけで2日、柱島に至っては行って帰ってくるだけで一日がかりというたいへん難儀な場所に郵便局があります。
忽那七島とよばれるのは現在は中島(なかじま)、津和地島(つわじじま)、怒和島(ぬわじま)、二神島(ふたがみじま)、睦月島(むづきじま)、野忽那島(のぐつなじま)、由利島(ゆりじま)の7つの島をいいますが、由利島(無人)以外の島にはもれなく郵便局があるので、これらを隈無く訪問しようとすると大変な時間と費用が必要になります。今回はチャーター船を利用することでこれらを打開し、グループを組んでまわることで出費を最小限に抑えようとしたのがそもそものはじまりです。
4月の段階で、私を含めた7名で開催するつもりでしたが、5月になってちゃあ氏からどうしても参加したいと熱意たっぷりの応募をいただきましたので、最終案を作り直して8名のプランで行くことにいたしました。ちゃあ氏を含む参加者のうちの何名かは、2~3名のグループで九州地方の離島を攻略した実績があるらしいとのことで、いざとなったら頼れる存在です。
人数が多いので当初は15分でとっていた各局の滞在時間を20分にしました。
中島の島内は3組に分かれて回るので5分の滞在になるように見積もっています。
参加者の方はほとんどが首都圏の人ばかりで、土日のうちに松山に移動して前泊してもらい、当日は電車などで三津浜フェリーターミナルに集合というかたちになっていました。
私も2日の移動期間があるので車で行くことにして、土曜に徳島に乗り込み、のんびりと道草を食いながら日曜の真夜中になってようやく松山入りを果たしました。
三津浜港は松山市街から少し離れた所にある古ぼけた港ですが、山口県柳井市との間を行き来する防予フェリーが深夜の3時台とかでも出入りしているので、波止場はひっそりとはしていても、タクシーは並んで客を待っているし、波間はギラギラと煌めいています。
そんな光景を対岸からぼやっと眺めながら撮った写真です。
結局、前日はソワソワしていたので3時前まで起きていました。
そして翌朝・・・
晴れ、それも雲一つ無い快晴・・・!
だいたい天気の良い5月の下旬を狙って設定したのがよかったのか、この時は当日だけでなく前後の日もあわせて、すべて晴れという安定した空模様となりました。
朝、早く起きたので、少し時間をつぶすために港山駅に寄ったり、近くの新浜簡易郵便局の撮影をしていたところ、踏切の近くで例の9月から愛媛だけで製造されることになるというニュースで全国のカールファンにその名を記憶させた四国明治の松山工場を発見。
こんなに海の近くにあったんですね。
あと三津浜周辺の郵便局などを何件か撮影して、そろそろかとフェリーターミナルに向かいました。
ターミナルに着いたけれども、人がまばらにいるだけでどれが参加者なのかよくわからない。
さっそく船長に電話したところすぐに駆けつけてくれました。
参加メンバーには三津浜港に8時30分集合、8時50分出発という予定でアナウンスしていましたが、こちらは主催なので8時に待ち合わせということで船長に伝えていたのです。
とりあえず、これ置いておけば寄ってくるだろうということで郵便局の看板をわざわざ自宅から持ってきていたので、車から出すのを船長に手伝ってもらいながら入口前に設営。
改めて見ると、これけっこう恥ずかしいなぁと思いながら記念撮影しています。
近くで坐ってるオッサンとかすごく不思議そうに見てますね (この人たちは参加者じゃないです)
そうしているとまぁ、数秒もしないところでこの様子を見た参加者がワラワラと集まりはじめて、なんと全員が即座に集合しました。
参加者の年齢とか容姿とかほとんどよくわからないので、他のイベントではこういう時にどういう風に集まっているのかよくわかりませんが、過去に経験したOFF会はだいたい居酒屋に行けば居るというシュチュエーションでした。
ところが、今回みたいに公共の場所に集まると、誰が誰やら分からなくて困るということをあらかじめ想定していて、一部には分かるような看板を持ってきたのは正解でした。
さて、8時50分どころか30分には集合してしまった8人。
私の予想ではもっとギリギリの時間に来る人や、寝坊する人とか出てくるだろうと思って車を待機させていたのですが、そんな必要はなかったようです。
(そんなことを考えてしまうのは、私が遅刻の常習だからですが...)
みなさん、今回の島めぐりにワクワクが尋常ではなかったらしく、さっさと宿を飛び出してターミナルまでやってきたようです。
というわけで、記念撮影を済ましたら互いを紹介をする間もなくさっさと出航することになりました。
船はターミナルから少し歩いたところの桟橋に舫 (もや) いてありました。
一見すると小さなボートに見えますが、運転席の前のボンネットみたいな部分も居住空間になっているので、10人くらいなら軽く乗り込めます。
我々が例の郵便局の看板を運び込んだり、乗り込んだりして、さて出航するぞと色めき立っていたところに、さっそく係員がやって来られまして、ここは救急艇を着ける所じゃから係留したらいけんぞと怒られました。(これはあとから起こることの伏線になるのですが・・・)
さて、そんなこんなで、バツが悪くなったので、全員が乗り込んだら退散するように港を離れました。
航海速力28ノット、全速で34ノットというこのボート。
34ノットというとわかりにくいですが、時速だと63km/hになります。
フェリーがせいぜい14ノット、高速船が26ノットなのでかなりのスピードがでます。
港内を出ると、瀬戸内海のまっただ中を順調に走り出しました。
船の後ろに乗ると船外機がけっこううるさいので、かなりの大声で話さないと通じないという過酷な状況。それでも爽やかな潮風が肌に当たって心地よく、至福に思えてきます。
ここでいろいろ話した中では皆さん日本中の離島に行かれているようで、一般人は誰も知らないような離島の名前がポンポン飛び出してくるのには驚きました。中には来週、鹿児島の黒島に行くとか、翌日に仕事で五島に行くとか、行動力がハンパないのです。
そうこうしていると、唐突エンジンがストップするというトラブルが起きて、海の真ん中で停止してしまいました。
何だ何だと思っていたら、船長がカギのようなケーブルを足元にボトンと落としてしまい緊急停止したとのこと。
船長の説明では緊急停止用のスイッチと操舵者のベルトをケーブルみたいなもので繋いでおいて、これが引っ張られると落水したとみなして緊急停止するという仕掛けらしい。
船長、何事もなかったように船外機のエンジンを始動させて再び出航。その間、船は波に洗われて上下に恐ろしく揺れており、私だけ狼狽 (うろた) えてしまいましたが、ほかの参加者のみなさんは百戦錬磨なのでこの程度で騒ぐわけもなく、平然としておられました。
◆ 二神島
9時14分、今回の第一の寄港地となる二神島 (ふたがみじま) に入港。
三津浜からは35分ほどかかっての到着となります。
二神島の人口は116人(平成22年)、今回上陸した島の中では一番人口が少ない漁業の島。
桟橋を出て島に踏み入れると待合所らしい白い建物がポツンと建っています。
あたりに人気はなく、郵便局に着くまで島民の誰とも出会うことはありませんでした。
静かな波止場に征服者のようにして降り立った我らご一行は、桟橋から少し歩かないといけない距離にある郵便局を目指しました。
二神簡易郵便局の開局は9時ではなく9時30分なので、別に急ぐ必要もありませんが、みんな一直線に郵便局へ歩き出します。
二神簡易郵便局は中島三和漁協の二神支所の事務所が受託しています。
時間はまだ9時30分になっていませんが、局はすでにオープン状態。
さらに先客の地元のおっさんが局内を物色しています。
「二神島にはお店屋さんはもう一軒もないから、うちは酒も売るし給油もやるし、全部一人でやるから忙しいよ」 という局長のナカムラさんは実は津和地島の住民で、わさわざこっちまで出向いてきているようです。それにしても、お店が一軒もないなんてどうやって生活していくんだと思ってしまいます。いくら魚が豊富に捕れると言っても、それだけでは腹はふくれませんからね。
郵便局は、ただの金融機関というよりも住民にとっての生命線の拠点となっているようでした。
局長曰く
「忽那七島というのはずっと中島、津和地島、怒和島、二神島、睦月島、野忽那島、由利島のことだと思ってたけど、ほんとは由利は違って、柱島が7つ目らしい・・・」
「ダッシュ島 (由利島) のあたりは良い漁場で、昔は人が棲んでいたけど、今はテレビ局が使ってるから上陸できない。
撮影の当日になると近くに船影が映らないようにするため、近寄らないようにっていうお達しが出されるよ」
由利島は、どちらかというと私は15年くらい前に電波少年で無人島脱出企画をやったときに舞台になったところという認識でしたが、同じ日本テレビの番組で、ダッシュ村が原発の避難区域になってしまい頓挫したあと、かわりに始まった企画の舞台 「ダッシュ島」 という形で県民には認識されているようです。
前日に菊間で知り合った地元民に、愛媛へ何しに来たと聞かれて、忽那諸島に行くからと言っても、「それどこ?」 「松山市内の離島ってダッシュ島?」 という回答しか帰ってきませんでした。もっと驚いたのは、子供のころ三津浜中学に通っていたという知人までも 「愛媛の島って鹿島?うち鹿島しか知らんけど」 という反応で、地元民でも忽那諸島の存在は知られていません。
しかし、どうもダッシュ島が松山の沖に浮かんでいるらしいという知識だけはあるようでした。
実は私自身、ダッシュ村は何度も見た記憶があるのに、島の方は見た記憶がありません。
なので、最初言われたときはピンと来ませんでした。
彼らは古井戸から水道を導いてきたり、舟屋を構築するなど恐るべきエネルギーにより島をテラフォーミングしただけでは飽きたらず、現在は岡山から煉瓦を持ち込んで反射炉の建設をしているそうです。ゆくゆくは鉄で船を建造して島を出るんでしょうか。
話がそれましたが、貯金の端末処理はきちんと30分になるまで待つという律儀な局長さん。
30分になると窓口に並べられた通帳を次から次へと処理していきます。
津和地島から来ているというというのが引っかかって、あとで調べてみたところ、朝、津和地島からやってくる高速船は、二神に8時56分に到着する。つまり、この人が通勤するには9時開局に間に合わないという理由で30分遅れになっているという事情が見えてきます。
予定通り、9時50分すぎに二神を出航。
次の島へ向かいます。
◆柱島
本日の2島目、柱島(はしらじま)
ここは愛媛県ではなくて山口県岩国市に属しています。
戦時中は戦艦停泊地のあることで有名で、江戸時代は長州藩の流刑地になっていました。
実際のところ、この島がどんな産業を主にしているのかよく知らないのですが、局めぐりをしている人の間では、行くだけでも一日かかってしまうという難所と認識されているでしょう。
夏季の増便があったとしても岩国に戻るのが15時過ぎですから、けっこう厳しいところがあります。
今回のツアーに参加された方の中にも、ここに来たかったという方が何人かおり、こんなにアッサリと上陸してしまっていいのだろうかと感慨にふける状態でした。
局員さん一同、暖かく迎えてくださり、ジュースを1本づつもらうことができました。
以下、郵便局の裏手にある旧局舎への道案内
郵便局の裏手の坂を登るとこのような道があります。
途中の分かれ道で狭い方へ進入
ものすごく狭いクランクを上ると・・・
何でこんな所にあるんだという位置で旧郵便局舎が姿を現わします。
旧郵便局の対面にはこんな案内看板が。
赤禰武人 (あかねたけと) という柱島出身の長州藩士で奇兵隊の総監をしていた人物の生誕地らしいのですが、誰か知ってる人いますか?
幕末~明治維新の歴史に疎いのでよく知らないのですが、なかなか男前なこの青年、いろいろあって仲間から幕府のスパイの嫌疑をかけられてしまい、最後は生まれ故郷のこの島に逃げてきたものの捕らえられてしまい、28歳で処刑されたという悲惨な人生を送っています。もっと悲惨なのは死後に路上で晒された首が何者かに持ち去られたので遺骸が揃わなかったとか・・・ 彼のお墓は島内のお寺にあるそうですが、歴代の医家だったという彼の生家は今はただの空き地となって残るのみです。
こんなわかりにくい場所に看板が立てられていることからみても、地元にとって重要な人物であることは確かですが、道案内もされていないので観光客が実際にここへ辿り着くのは至難だと思います。
局の裏山から海を見た景色がとてもきれい。
奥の方に見えてるのは広島県の倉橋島だと思います。
予定通り10時40分頃に柱島を出発。
◆津和地島
愛媛県内の忽那諸島の中では一番最西端にある島。
西隣の情島 (なさけじま) は目と鼻の先にありますが、そこから先は山口県となります。
人口は平成17年で464人、22年に383人、そして今は270人程度に減少していいます。
郵便局の方も2008年で直営局は廃止となり、そのまま簡易局と再出発しているのでけっこうな過疎地だということがわかっていましたが、これまでの島に比べると若干華やかな感じがします。
港から見える建物が多いからでしょうか。
島の産業はタコ漁、タイ漁等の漁業、そして柑橘類の栽培です。
津和地島はミカン以外にも漁業も盛んなので、海岸に沿って漁村らしい風景が並んでいます。
郵便局のある路地は海沿いの住宅から山側に一本入ったところにありますが、写真のような民家の建物の隙間を通り抜ける必要があります。
こちらが津和地簡易郵便局のある島のメインストリート。
両側に商店街のようなに軒を連ねた狭苦しい通りは、地元の三重県の漁村などとそっくりです。
これが、どういう規格かはわからないですが、普通車がギリギリ通れる幅なんですよね。
本日3局目の津和地簡易郵便局。ATMがちゃんと残っています。
局名の上から「簡易」の2文字を足しただけで、他は直営の時とあんまりかわっていません。
局内には初老の局長さんがぽつんと居て、黙々と処理をしてくださいました。
処理の待ち時間の間、左隣にあるタバコ屋に入ってみました。
外から見た感じ、やってるのかやってないのかよくわからない外観なのですが (田舎にはこういう商店がよくありますが) 戸を開けたらちゃんと店番の方がおられました。
駄菓子屋とタバコ屋と文房具屋を足したようなお店で、単なる冷やかしのつもりで入ってしまったもののアイスクリームボックスにダブルソーダを見つけて即購入。驚いたことにこのご時世に60円という破格の値段。
真ん中で割って二人で食べれば30円という圧倒的パフォーマンスなので、小さいときによく買って食べてました。かつてはエスキモーというブランドでしたが、いつの間にか森永乳業にかわっています (というか、エスキモーというのが森永のブランドだということを今さっき知りましたが・・)
店の女性が言うことには、津和地簡易郵便局の局長はかつての直営局時代の局長さん本人で、後継の人がいなかったので定年とともに簡易局になったというお話でした。
ちなみに津和地小学校は最後の卒業生2人が今年卒業してしまったので休校になってしまったとのこと。
小学校を巣立った彼らは中学生にして親元を離れ、中島で寮生活という、都会人には想像できないハードな生活が待っていますが、忽那諸島は学校が少ないので中学から寮生活というのは別に珍しくもないようです。
それにしても小学生の居なくなってしまった島に駄菓子屋があるというのはなんだか物悲しいものがありました。
11時20分 津和地港を出発。
特に時間を気にしているわけでもありませんが、ここまで驚くほど予定通りです。
◆怒和島
本日4島目の怒和島 (ぬわじま) は津和地港から目と鼻の先にあるので5分くらいで到着します。
今回はチャーター船だから一瞬で来れましたが、実際に定期船で渡るとなると待ち時間が長いですから、大変だと思います。
強風が来たら海に転落しそうな桟橋への道 |
海がきれい |
この島は元怒和と上怒和の東西2つの集落から成立していて、郵便局がそれぞれの近くにあります。もちろん2つの局の往来は船ですることになっています。
島の人口は元怒和175人、上怒和234人 (2015年)
島の産業はアワビ漁や養殖、柑橘類はレモンなどにも力を入れているそうです。
上陸して早々に干からびた茶色い猫がお出迎え。
なんと怒和島ではレンタサイクルがあるようです。
これがあれば上怒和まで10分くらいでいけそうですね。
4局目 神和 (じんわ) 郵便局。
ちょうど集配車が来ていました。ここはもともと集配局だったようですが2006年に廃止されています。
蒸し暑い局内に入るとまず驚くのが局の待合いスペース一杯に拡げられたブルーシート。
その上に何個か段ボールが置かれていて、これが本日の受付した小包のようです。
ほとんど足の踏み場もないくらいにブルーシートが敷かれているので、凄いときは凄い量の荷物が並ぶはずですが、訪問した5月下旬はミカンの出荷シーズンが既に終わっているのでほとんど荷物がありませんでした。
今回は郵便局目的なので集落の散策もほとんどできませんでしたが、実際に見て回ると風情のある町並みが楽しめると思います。
ちなみに、局名にもなっている 「神和」 ですが、明治22年から昭和39年までここら辺は神和村となっていて、元怒和に役場が置かれていたようです。神和というのは二神の 「神」 と津和地・怒和の 「和」 を足したものということですね。
忽那諸島の島々にはわりと自動車がいて、どれもきちんとナンバープレートがついています。
長崎から見えた参加者の話では、山口の浮島に行ったときに黄色ナンバーのカローラを見たとかいう話が出ましたが、今回の船旅では幻の黄色ナンバーどころか、ナンバーの付いてないような無法な車すら見つかりませんでした。
(ナンバーが付いてない車が島じゅうをウロウロしていたのは走島などが有名です)
島内の交通は車のほかにリヤカーも重要な輸送車で、色んなものを至る所で見かけます。
船長さんは代々この地で海運業を営む家系の6代目にあたる社長さんでもあって、ミカンの出荷シーズンは県内 (日本?) 唯一のミカン運搬船をやっており、むしろそっちが本業なのですが、シーズンオフはチャーター船をやったり中島のビーチでマリンスポーツイベントを企画したり、ミカンジュースを作ったりといろいろやってるらしい実業家なんです。
そして、伊予弁独特の訛りにどこか哀愁の漂う話し方をされます。こちらの動画にちょっとだけ出てます。
続きまして島の東側にある上怒和へと移動します。
上怒和港の待合所が見えます。
10分ほどすると上怒和港に到着。
港からはこんもりと飯を盛ったような山が見えますが、これは丸山鼻というそのまんまの名前だそうです。
港から3分くらい歩いた海岸沿いにあります。
表向きは公民館のような建物なので、ポストを目印にしないと通り過ぎてしまいます。
ガソリンが20円引き!
離島振興対策で燃料の一部が補助金でてるみたいですが、別掲の価格表にはガソリン139円と書かれていました。あれっと思ってよく見たらこのキャンペーンは3月末で終わっていたみたいです。
ちなみに、前日に今治市内でガソリンを入れた店は112円という信じがたい値段でした。
港にはこんなポロボロの木造船が・・・
でもこれたぶん現役ですよ。
12時20分 上怒和港を出発。
怒和島の東はクダコ水道と言って、釣り人には好漁場として知られています。
◆中島
中島は忽那諸島のメインとなる島で、郵便局が4つありますが、神浦簡易郵便局が4月から一時閉鎖となっているので今回まわるのは3局となりました。神浦はもともと貯金を扱っていないので最初にプランを出したときから行くかどうか微妙でしたが、閉鎖となってしまうと最早廃止まで一直線ではないかと思います。
中島生まれの船長さんも島に郵便局が4つもあることを知らなかったらしく、今回の話が来たときに初めて神浦と粟井に局があることを知ったとか。
まぁ、島というところは小さいように見えて地区ごとに住民の関わり合いが希薄だったりしますから、となりの集落ですら未知の世界ということもあるでしょう。
今回は中島島内に関しては自動車で回ることにしています。
吉木郵便局から1キロくらい北に位置する饒 (にょう) という不思議な名前の港に着岸しますと、閑散とした港に3台の車が用意してありました。
車はほとんどマニュアル車しかないらしく、サービスで一人運転手を用意して下さいました。
港にふらりと現れた日に焼けたおっちゃんがその担当に。
とくに班分けとかもしてないので、適当にこの車に乗り込んだ3名がまず先陣を切って出発。
つづいて、同じような車にほかの3名乗車。
2班目の運転は事前にマニュアルでも運転すると豪語したちゃあ氏が担当。
計画では1班目が粟井⇒中島⇒吉木の順にまわり、2班目が吉木⇒中島⇒粟井という風に回ることで処理時間を分散させようとしています。
では、残りの3班目はどうするかというと、2人しかいないので、2班目と同じような順で行動します。
最初私が1台運転することになっていましたが、3台目は知り合いから借りてきたものらしく、客に運転させるわけにはいかないということで船長が運転することになりました。
というわけで私は運転する必要が無くなり、船長+2名で饒港を出発となりました。
ちなみに社用車の赤いワーゲンバスはどうなったのと船長に訊きましたところ、あれは三津浜港に置いてあるのでこっちでは乗れないということでした。残念。
6局目 吉木郵便局
小さな郵便局です。局内にはFMラジオが流れていて長閑すぎます。
近くにある定期船の港は西中港といいますが、これは昔この辺が西中島村と呼ばれていたころの名残だと思います。
7局目 中島郵便局
ここはまだ集配局としての機能を持っていました。駐車場のようなものはなく、ヤードがまだ現役なので車はポスト前にむりやり駐めるしかありません。
郵便局の前の道はこんな風に狭い道路になっていますが、どことなく商店街の雰囲気があります。大浦は中島の中心街でスーパーやホームセンター、食堂など生活に必要な商店が一通り揃っているので都会みたいなものですね。大浦港ではレンタサイクルもあるのでそれで島内を回ることも可能です。
ところで、郵便局に入るときから気になっていましたが、庇が長く延びている建物、これは元の郵便局なのではなかと思ったので、年配の局員さんに訊いたところ、違うと一旦否定されました。
ところがそれを訊いていた別の客があれは紛れもなく郵便局だよという証言が飛び出し、さっきの局員さんも 「知らなかった」 と言い出す始末。この様子では相当昔に使われなくなった建物のようです。
建物はすでにボロボロ
この公衆電話用の小窓が郵便局の特徴ですね
内部は薄暗くてがらんどうになっています。
中島郵便局のこの旧局舎については後で調べたところによると昭和48年に現在地に移転しているので、それまでは現役だったようです。
建てられたのは昭和10年~11年の間だと考えられます。
8局目 中島粟井簡易郵便局
海岸沿いではなくて一本山側の道路にあるあたりは津和地と同じパターン。
ここではなんと、局舎の前に大きな郵便局マークの旗が掲げられていました。
局内は極めて狭くて3人も入ると身動きが取れなくなります。
ちなみに今回、中島各地の移動が船ではダメだった真相として、粟井の港に桟橋がなくて船を横付けするのが難しいということがあげられます。地元の漁師さんは岸壁に船を係留して、自家製の梯子で岸に上がっているようです。
このあと、また中島郵便局のある大浦地区に戻り昼休憩となります。
具体的には島随一の食料品店であるスーパートミナガで食料を買い込むのですが、総菜コーナーに向かったところ、おにぎりの類のご飯物が売り切れていて、辛うじてサンドイッチを確保できただけでした。この辺の事情はさすがに離島といわずにはいられない。コンビニにさえ行けば棚一面におにぎりや弁当やカルボナーラが並んでいるという光景に慣れ親しんでいるとこういうことが大変なことに映ります。それでもまだ何か食料が手に入るだけでも幸いで、小さな島になると食料はおろか、自販機すらないということもありました。
結局、昼休みに15分を用意していましたが、そそくさと切り上げて饒へと向かいました。
港について見ると、一番始めに出て行った1班目がいませんでした。
途中もすれ違った記憶にないのでスーパーに一番乗りして食料を買い込んだあと、昼休みを満喫しているのだろうと思っていたところ、ようやく車が到着。
どうやら1班目にトラブルがあったようなのですが、乗り込んだメンバーから語られた衝撃的の顛末は以下の通り。
まず、港を出て15分ほど走った先の粟井局に着いて、貯金を済まして出ようとしたところ、運転手の例のおっちゃんがサイドブレーキを落としたあと一向に出発する気配を見せず、車の故障か?などと様子を見ていたところ、おっちゃんが呂律の回らない状態で何かを訴え始めたようです。
それで、どうも様子がおかしいのは車ではなくて人間の方だということがわかったそうで、おっちゃんの右半身は麻痺していて、運転ができるような状態ではないので、参加者の一人が運転を交代することで切り抜けたようです。
ついさっきまで饒舌にしていた人が急におかしな挙動になるのも恐ろしいですが、もし運転中に麻痺がおこっていたら最悪そのまま暴走して大変な事態になっていたということです。
そして、同乗の参加者の機転の利いた行動というか、冷静な対処も凄い、こんな状況で郵便局もきちんと回ってきたのですから。
とりあえず、片麻痺でフラフラになっているというのは脳卒中としか考えられません。
痛みを感じていないとすると脳内が出血しているか、脳梗塞のどちらか・・・ どちらにしてもこのまま放って置くわけにはいかないので、 救急車を呼ぶことになりました。
それで、船長が電話したので、救急車が港までやってくるのかと思っていたら、今から三津浜まで船で運ぶということになり、急遽予定変更で三津浜まで向かうことになりました。
ちなみに中島にも病院はあるのですが、「島の病院はアテにならない」 ということで松山まで運ぶんだそうです。
救急艇を呼ぶまでもなく、すぐそばに船はある・・・ つまり、今まで乗ってきたハッピースマイル号に患者を乗せて三津浜までいくのです。
船を飛ばしに飛ばして30分、三津浜に到着いたしました。
桟橋にはすでに救急車が口を開けて待っています。
今朝出発したのと同じ桟橋に船を着けるや、隊員が船に乗り込んできて一気に緊張感の漂う雰囲気に。おっちゃんの身体は地蔵のようになっているので、数人がかりで担ぎ上げて救急車に。
なお、ご家族との連絡がとれず。船長が付添人として着くように言われましたが、そんなことされたら旅の続きがどうにもならないので、おっちゃん一人だけ救急車に乗せて病院に運ばせました。
(ちなみに、このあと病院で脳溢血と診断されて、その日の夕方には出血が止まったようです)
それにしても、饒港で颯爽と登場してから15分でダウンし、一度も話すことも無く、突然の出来事で退場してしまったこの方のこの先を思うとちょっとつらいです。
健康に問題もなく元気だったといいますが、高血圧だと何時かこういうことになるのです。
お酒やタバコは控えましょう。
さて、我々はこのしばらくの間、めまぐるしい展開に惑わされて付き合っていましたが、局めぐりの続きがまだまだ残っています。
三津浜まで来てしまったので、回る順番を変更して、まずは興居島、続いて睦月、野忽那の順番に攻略します。
果たして、すべての予定の郵便局は全て回れるのでしょうか・・・!?
(後編に続く)
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