2018年6月26日火曜日

【離島ミニ散策】 瀬戸大橋の足元にある島。与島探検 (後編)

◆ いよいよ与島の集落内へ潜入

与島の集落内に立ち入るためにPAから第二駐車場まで移動したのが前回。
今回は、この駐車場のはじっこにある車止めを越えて集落内に進入します。
入口に何の案内板もなくてビックリですが、特に立入禁止とも書かれていないので堂々と入ればいいと思います。しかし、何というか、島の玄関なんだからもう少し格好良い入口にしたらどうなんだろうかと思いますね。


ちなみに与島PAから与島の集落に進入するルートは3つくらいありますが、今回は一番マトモな入り方を選んでいます。ほかの2つはというと1つ目が与島PAの南の外周にある遊歩道から集落に抜ける小道に入り込む方法。

PAのはじっこにある公園みたいなところから柵を越えて敷地外に出るか、草むした遊歩道をしばらく東に進むと、外周道路に出られる一角があるのでそこから進入します。
今回は時間がなかったので実際には行かなかったのですがRPGの隠しルートみたいな感じで面白いんじゃないでしょうか。

もう一つは与島ICのゲートの手前まで行って、そこから歩いてゲートを越える方法。

第二駐車場への導入路で最後のカーブを曲がる手前に右に分岐があるのでそこを曲がるとその先に与島ICのゲートがあります。
分岐のところに一般車進入禁止と出ているので、島民でもない車は入っちゃだめなんですが、入っちゃった人を排出するためにゲート前にUターンする区画があるんですね。そこに車とめて歩いて入るっていう方法。まねしちゃダメですよ。
しかしこのルートも関係者しかわからない隠し通路に入っていく感じでRPGっぽい(以下略・・)

そんなわけで、第二駐車場から堂々と入る方法で今回は行きます。

入っていきなりある光景がこれ。ただの住宅街。
塩浜という地区で、かつては塩田、今は集落から溢れ出た住民が新たに住むための分譲住宅地のようです。
ここに与島中学校 (2008年閉校) などもありますが、日中なのに全く人の気配がない。

少しあるいたところにある中本商店。今はおそらくやってないだろう外観。
この店舗前に塩浜停留場があります。

塩浜地区の目の前に大橋があって景観は素晴らしいのですが、時折列車が通過するときにけたたましい轟音が鳴り響くのではっきり言って住民は辛抱たまらないと思いますね。
鉄道は道路の下の階を走るようになってますが、列車からの景観はあまりよろしくありません。
私も一回だけ通ったこと有りますが、どんな景色だったか全く記憶にないのです。
たしか、保線作業用の通路や柵が延々と続くだけで、与島を見るのは困難なはずです。



◆ 与島島民だけが通れるゲートの存在

中学校から少し進むと現れるのが与島ICのゲート。
ちょうど島民の軽トラがやってきて、通過していくところでした。
ETCで通過するのではなく、専用のカードを入れると開くようです。係員は居ません。

写真を拡大をしてみるとわかるんですが、ゲートの向こう側に車とめてる人いますね。
これがさっき紹介した2つ目の方法。進入禁止のゲート前まで車で乗り込んで歩いてゲートを越えるを実践してらっしゃる方々です。

ゲートに係員がいないこと知ってないとちょっとできないですね。
現場で見たときはゲートの手前に駐車スペースがあるのかと思ってましたが、そんなもんありません。くれぐれも真似をしないようにしましょう。



ゲート前からは南東方向へと進むことにします。
ちなみに何の案内板もありません。というか与島全体に言えることですが、道路の案内板というものは全くありませんから、いかに部外者が入ってくるのを歓迎していないのかが分かります。
しかし、だからこそ自分で道を探して歩く楽しさがあるのです。


自動車が一台通れるくらいの道です。
両側には無住の家屋が建っています。
前を歩いているおばさんは第二駐車場に車を止めていた人なんですが、そのうちの一軒に入っていきました。建物の至る所に蜘蛛の巣が張っていたので、きっと無住になってしまった自宅を掃除しにきたのだと思います。
ここで、このおばさんがなぜゲートを通過せずにやってきたのかということが判明するわけですが、そういう元島民たちはゲートを通過する権利がないということがわかります。


瀬戸大橋と畑という不思議な構図



道なりに進むと上り坂になり、突き当たりまで来ると大きくカーブして北へと道路が続いていきますが、このヘアピンカーブのところで、あえて直進してみることにします。




◆ 与島小学校の跡

直進するとすぐに視界が開け、何もない平坦地と体育館が現れます。
近くに与島小学校というバス停があるので、小学校であることはわかりましたが、校舎はどこにあるのだろうかとちょっとあたりを探し回りました。すると、ちょっと下の方に建物がある。



給食室と書かれた建物裏手から回り込むと正面には与島幼稚園とあります。
建物はしっかりしていますが、今もやっているようには見えません。そして建物の前に適当に置かれてるボートは捨てられているのかそうでないのか。島の高台にあるので津波が来たときに逃げる場所としては適当な所ですが、津波がきたとしてこのボートを使うようなことってあるんでしょうか。
島から脱出するなら橋に登った方が安全だと思います。 

小学校ではなく幼稚園の目の前に飾られている二宮尊徳像。
かなりキレイな状態で残っています。
石の材料はよくわかりませんが、全体的に白肌の端正な尊徳像です。小与島が石の産地なので、そこの石で作られてる可能性がありますね。


あと、調べてわかりましたが、与島小学校も2008年に閉校しているらしく。校舎はすでに取り壊されたあとらしい。
幼稚園は小学校が閉校した後も少しだけやっていたらしいけどこれも今は閉園しています。
 

幼稚園の入口からいよいよ浦城の集落内に進入です。


◆ 与島幼稚園から海へと至るコースを辿る

校門を抜けた先の白壁の建物は一見ただの民家に見えますが、中に洗剤が並んでいたので雑貨屋みたいです。


雑貨屋の前を通り過ぎると地蔵のあるT字路。
左はおそらくヘアピンカーブのところの分岐にあった細い坂道に繋がっているだろうと思われる。
ここは下り坂になる右へと曲がります。

 道路の左手からは瀬戸内海児島半島が見える展望ゾーン。




 道路はここで藪のようなところに突入しているがこのまま進んでようのかどうか不安になる。




 これは果たして道路なのか??



藪のゾーンを抜けると民家の建て込んだゾーンに向かって階段が続きます。
のしかかると折れそうな手すりが付けられていて申し訳程度にバリアフリー。


◆ 港の目前にある謎のプール

階段を下りきると海岸に到着し、いきなり目の前に細長いプールが出現。
今も使われるとはちょっと思えないくらい枯れたプールです。

小学校の跡地を散策したサイトの人の話では、小学校の敷地にプールらしきものは無いらしい。
つまり、この港のプールを授業で使っていた可能性があります。

では、なぜプールが海辺にあるのか。
あくまでも推測ですが、このプールは海水プールで、その海水を満潮時に導入するために海辺に有ったのではないか。なぜならかつての与島は水道水を島内で賄っており、その水はとても貴重だったからです。真夏に水が涸れてしまうと水舟を出して買いに行くしかないという島なのに、プールに真水を入れていたとは到底考えられないのです。

港から見える瀬戸大橋。
左手にあるこんもりとした森は鍋島灯台のある岬で島内随一の見所です。
普段は立ち入り出来ませんが、花の咲く季節に公開される期間があるというお話。
ここにきて初めて観光客らしい女性の一団が歩いているのを見かけました。

港の方が少しばかりの漁船が浮かんでいます。
あまり漁業は盛んではないらしく、これらの船も漁に出るためというより、付近の島に行くためのもののようです。


 ◆ 漁港に佇むシャビーなバス停はインパクト大
 
そしてこれが漁港で一番目立つ建物。
浦城のバス停です。

ロシアの樺太あたり行くとありそうなサビサビの建造物で、全国津々浦々でもここまでインパクトのあるバス停もないんじゃないかという佇まい。


遠くからみるとよくわかりませんが、近づいてみるとこの建物は船舶の一部であることに気付きます。入口も開いているので入ってみましょう。


これが待合室の内部。
空間が歪んでいるような気がしますが、これは天井が曲面になっているためです。
しかし、天井板が所々剥がれているし、あんまイスが置かれていたりとなかなか混沌とした空間。
そして何より天井が異様に低くて圧迫感が凄い。
あまり待合いたくない待合室です。


待合所にはこれらの家具類のほかにも壊れた洗濯機が何台も放置されていたりと、ただのゴミ置き場なのではないかという状態で、外から見たときのワクワクのわりには待合所としての環境は劣悪です。どうしてこんなことになってしまったのか。

この待合所はかつての定期船が廃船になったものを活用しているようですが、おそらく漁港を整備する際に船を丸ごとコンクリート漬けにして作られており、床板部分が嵩上げされて天井が低くなってしまったことで居住性が低下。あとは定期的に外壁を塗り替えることもされないためどんどん錆が来て、ついにゴミ溜のようになってしまったのですが、外部の人間がやってこないので、島の玄関口をキレイにしておくという感覚も薄れてしまったのだと思われます。


◆ 郵便局へと向かう道
 
バス停から少し歩いたところの風景。
真ん中にある商店はきちんと営業されていて、飲み物や食料品などがある程度手に入ります。
商店の向こうにある民家の脇の小道の先に郵便局が見えたので入ります。

坂出与島郵便局。
この日は日曜日なので開いていませんが、ここは県内でも珍しいATMのない直営局なので、土曜日も開くことはありません。



帰りは郵便局の前の小道を進んでみることにします。
与島は昔、航海業で栄えていたので所々に古くて立派なお屋敷がありますが、
そのほかの多くは狭い敷地内にぎっちり押し込まれる形で立てられています。


途中の坂道から海を振り返り。
とてもいい景色ですが、右手の民家にいる犬が吠えまくっていてかなりうるさい。
犬の苦手な人は通らない方がいいかもしれない。

ちなみにここで初めて地元の人らしき人とすれ違いました。


急な坂を登り切るとソテツの脇のあたりから舗装された道路に合流。




◆ 郵便局の近道への入口はこんなところにあった

この風景には見覚えが、、、最初にヘアピンカーブのところを直進した所です。
この道をまっすぐ進むと小学校跡と体育館があるわけです。
郵便局に至る近道はこの学校入口にあるソテツが目印になりますね。
ちなみにこの道の反対側 (写真の右手) には、穴部集落に続く道路が細々と続いています。これを道なりに進むと与島PAの外周通路に辿り着けると思います。



◆ 2018年のフィッシャーマンズワーフ跡

第二駐車場に戻りました。
さっきの分岐から10分、郵便局からは15分といったところです。

ここからは、かつてこの地にあったというフィッシャーマンズワーフの跡地の様子を見てみることにします。現在この第二駐車場の半分くらいの敷地は車輌進入が出来なくなっているため、ご覧のようにただの空き地になっています。スケボーとかの練習するにはよさそうですね。

奥のヤシの木が並んでいるあたりの向こうに2011年までフィッシャーマンズワーフがありました。

それで、フィッシャーマンズワーフの跡地はどうなっているのかというと、だいたいは草藪になっていて進入することができなくなっています。
写真は草むらの中に残っている給水施設。

草藪ではない部分は太陽光パネルが並んでいますが、これも耐用年数が過ぎたらどうなることやら。


これは水路を渡った先にある廃墟的物件。
看板が朽ちているので何だったのかよくわかりませんが、温室か何かだと思われます。


水路の堤防添いに進んでいくと瀬戸大橋がきれいに見えるスポットになっていますが、この潮だまりには小舟が一隻と、釣り人がぽつぽつと居る程度でほんとに寂しいところです。

海の向こうに見える岩黒島は近年、魚介類を生かした料理を提供する民宿が繁盛しているらしいですが、与島の方はここ最近は全然ぱっとしないばかりか、廃墟スポットとしても微妙で、PAに観光客が休憩に寄るだけの島となってしまいました。

◆ 瀬戸大橋ができるまでの与島

ここで少しだけ、与島に大橋が架かるまでの話をしておきます。
宮本常一 『旅の手帖<愛しき島々>』 収録の 「塩飽諸島」 の章には与島の地理的概要が端的に述べられているのですが、これは昭和48年、まだ瀬戸大橋が影も形もなかった頃に、大橋ができることによる自然環境の変化と保全についての調査書として書かれたもので、当時の与島の様子や歴史を知るにはちょうど良いものです。

その頃はまだ本四連絡線の計画段階でしたが、実はその時点では与島にパーキングエリアどころかインターチェンジすら造る気は無かったらしく、島民の陳情に対しての公団側の回答はせいぜいエレベーターを造る程度のものだったようです。当然、櫃石も岩黒も同じ状況で、ただの橋脚の足場というものでしかありませんでした。
そう考えると、今の状況は当初の計画を大きく越えて、かなりの恩恵を受けたといってもいいようなものです。

ちなみに当時の与島の集落別戸数は浦城70戸、穴部13戸、塩浜55戸。
これらの戸数は当時も今もあまり変わっていないと思いますが、一戸あたりの人数や、無住の家が増えたことで島の人口がどんどん減っています。もとより家の数を増やすことに限界があるため、家を継がない男子は島の外に出されて主に阪神方面に移住していったようです。
家が増やせない事情は土地が限られているからだけではなくて、飲み水の確保に限界があったからで、大橋が出来るときに水道管を本土からつなげて欲しいというのが当時の島民の願いでもありました。そして、その後の観光開発を見る限り、その願いも聞き入れられて、もう昔のように飲み水の心配はいらなくなったはずです。

歴史的にみると与島はこの周辺に散らばる小島の中でも本島に次いで古くから人の住んでいた島で、ながらく航海業を主力にした島であったようですが、近代には塩田と石材産業が主力の島となりました。一方で明治期からすでに島内での食糧自給がなくなり、水田が一枚もないような島となっていて、食料はすべて島外から買ってくるという状態となったとのこと。なので、今でも畑がほとんど無く、農業に関しては何もないような島となっています。

その後の、架橋後のことについてはフィッシャーマンズワーフの件でも分かるように、観光業は20年ほどで下火になって、今は与島PAの一部に集約されてます。
明石海峡大橋ができたことで阪神方面から四国への流動がそちらへ変わってしまい、瀬戸大橋は中途半端な立ち位置となってしまいましたが、直島や小豆島、本島などそれなりに見直されている中で、与島だけが瀬戸大橋直近のバツグンな景観を手に入れておきながら寂れたままになっているのはなんだかもったいないなぁと思います。


クリックすると全体マップを表示します

◆ 今回の歩いたルート

というわけで、小一時間ほど島を散策したルートを地図にしてみました。
今回の目的は与島PAから郵便局に至るまでのルートを確定することにありましたが、当の本人は翌日に船で訪問する気でいるので、郵便局というか、純粋に与島の中を歩いてみたかっただけです。

歩いてみた感想としては、あまり部外者がやってくることが想定されていない島で、案内板無いし、道が分かりづらいし、地元民が全然歩いてないしで、玄人向けの島であることがわかります。
これでもう少し岩黒島みたいに民宿をがんばってみるとか、対岸にある小与島を見学できるようにするとかそういう色気を出せば魅力も出るのでしょうが。今の状態からどうしようというパワーも感じられないので、きっとこのまま静かな島に戻ることでしょう。

ちなみに第二駐車場はぜんぜん人がいないので車中泊とかするならオススメですね。
防波堤で釣り糸垂れたり、灯台を見に行ったりしてのんびり1日を過ごすのもいいんではないでしょうか。

おわり。

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