2017年4月5日水曜日

【局めぐり記】 小豆島と豊島の旅


http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=20&zoom=12&nl=34.51033248042213&el=134.27981737548828

日時 : 2017年3月6日
天気 : 曇りのち晴れ

瀬戸内海の東に浮かぶ子犬のような離島、小豆島 (しょうどしま)
以前からずっと行きたいと思っていましたが、なかなか機会がありませんでした。

最初に行こうと思ったのは2012年の夏だったと思いますが、夜中の3時に日生 (ひなせ) 港のターミナルまでやって来て、さぁ、あとは7:30発のフェリーに乗り込むだけだと思って、ネットを見ながら時間を潰していたところ、他社と比較したときの航送料金が高いということが判明し、やる気を一気に無くしてしまったので、小豆島行きを断念して岡山県内の郵便局めぐりに急遽変更したということがありました。

日生から小豆島の大部 (おおべ) に渡る瀬戸内観光汽船のルートは本土からの距離は最短となりますが、航送料金で見た場合、三宮港から出ているジャンボフェリーの方が安くなるのです。
たとえば旅客2等なら瀬戸内が1960円、ジャンボは1990円で、ジャンボのほうが微妙に高いのですが、車輌5M未満では前者7280円、後者5990円となり、ジャンボの方が断然安い。しかもジャンボは6Mまでならどれでも同じ料金なのでデカい車は断然こちらの方がオトクなのです。
さらに三宮からなので長距離になりますが、深夜便に乗れば一晩越せるので仕事帰りに乗り込んで一泊して小豆島を回るという弾丸ツアーも敢行できます。

ちなみに、姫路から福田に渡る小豆島フェリーというのもありますが、5M未満9230円という高料金なのでお話になりません、でも旅客運賃は1520円と安いので、車がないならこちらを選ぶというのもアリです。

そんなわけで、今回はもちろんジャンボフェリーにお世話になるのですが、深夜便は深夜料金になって上記の値段より少し高い6290円となることと、小豆島から高松に渡ることも考えてマイカースルーきっぷを使うことにしました。

マイカースルーきっぷは普通車一台9980円で、燃料サーチャージがついて10280円。
小豆島から高松へはジャンボと内海フェリーの2種類の中から選択できておトク・・・どのくらいおトクになるかというと、神戸~坂手 6290円 と坂手~高松が 4990円 で合計で11280円 (サーチャージ無し)
マイカースルーきっぷは9980円なので1300円おトクですね・・!

あるいは内海フェリーを使った場合は 6290 + 6210 = 12500 で 2520円おトクになります。

実はマイカースルーきっぷにはもう一つ利点があって、2本目のフェリーに乗るときに乗船手続きをする必要がありません。出航ギリギリで乗り込んでもセーフ。窓口の人に怒られることはありませんからギリギリまで小豆島を楽しんでいただけます。

さて、航送料金の話はこのくらいにして、郵便局めぐりの話を始めたいと思います。




三宮港 深夜1時

出航の1時間前に到着して待機場所で待つこと1時間・・・
1時出航というのに1時にならないと船内に入れてくれないなら早くから待ってる必要なんてあるのかよと思いました。

船内はごらんの通りガラガラで、なぜ待たされていたのかよく分かりません。
こっちは早く船内に入って眠りにつきたいのに。


さらば神戸。さらば六甲アイランド・・・。
車輌の数が少ないのでどうかと思いましたが、船内にはそれなりに乗客がいらっしゃいました。
みなさん思い思いの場所で寝床を拡げていて、ゲーセンの一角で寝ている玄人もいらっしゃいました。


翌日7:30 坂手港着
フェリーは神戸から小豆島まで3時間で来れますが、深夜便は途中で遠回りして高松に寄るのでこの時間になります。   
朝5時頃に高松着岸のアナウンスが高らかに船内に響きわたるため、静かな眠りは保証されません。

さて、坂手は島の東の方にありますが、今回は三都郵便局をスタートにするので少し移動します。
今回のプランは、ざっと以下のように計画しました。

まず、小豆島内の郵便局だけでは時間が余るので、豊島 (てしま) もついでに回れないかと考えた結果、土庄港から10時30分に出る船で豊島に向かえば、郵便局に寄って土庄まで戻ってきた時点で12時39分なので、残り時間で小豆島内を十分に回りきれると考えました。

豊島の往復に費やす時間を2時間半と見ると、残りの4時間半で14局。
1局あたり20分になるので、別に無理な話ではありません。
このことに最近ようやく気づいたので、さっそく小豆島に行こうと決まりました。

行く途中にちょっと寄り道。丘を少し登ったところにあるオリーブ公園のオリーブ色ポストです。
これは飾り物ではなくてちゃんと稼働しているポストです。
小豆島はオリーブの栽培が盛んなのでちょっとした地中海風土を味わえますが、真冬のような気温とどんよりと曇った空のせいでちょっと気分が晴れません。

オリーブ公園より南の方向をのぞむ

1局目は島の真ん中から突出している半島部、犬の前足みたいな所にある三都 (みと) 郵便局からスタート。
蒲野という地区にあるので、蒲野郵便局と言うのかと思いきや三都というよく分からない名前ですが、明治時代にこの辺の3つの村を合併してできた三都村に由来するようです。

それにしても静かな海辺。
人もいないし車も通らないような寂しい入江です。

2局目 池田郵便局
オリーブ色の外壁がまぶしい集配局。
駐車場が離れた所にあるみたいですが、みなさん道路にガンガン駐めています。

3局目 双子浦簡易郵便局
以前はもう少し東の坂の途中にあったそうですが、今は跡形もなくっていて、道路の拡幅工事中でした。
移転した先は国道沿いの自動車修理工場の一角。
局舎の横手にミニカーが駐まっていて、ちゃんとナンバープレートがついているので局員さんが出勤に使っているものではないかと思います。

4局目 小豆島の西海岸にある四海(しかい)郵便局は海の真横。
局名は明治時代に4つの村が合併してできた四海村に由来します。
古い郵便局舎が残っていないか訊きましたら、局長さんが懇切丁寧に説明してくださいました。
前の郵便局はもっと北の集落の奥にあったようです。さっそく行ってみましょう。


酒屋の角を右に曲がり、狭い道路を進むと2階建ての局舎が現れました。
この建物で昭和の最後くらいまではがんばっていたようです。

ちなみに、四海の沖には沖の島という小島が浮かんでいて、たった100円で渡ることができるようです。特に時刻表も決められて無くて、波止場で立ってれば船頭さんが迎えに来てくれるという、なんとものんびりしたシステム。時間に余裕があったら行ってみたかったですね。

四海地区周辺の図


5局目 土庄 (とのしょう) 郵便局
島の中では一番大きな郵便局で、この辺りが島の一番の繁華街になります。
郵便局の回りが覆いで囲われていて、改修工事をしているように見えますが、これは瀬戸内芸術祭のときに局の壁面に展示物を貼り付けていたのを、会期の終わりとともに撤収するためのようでした。

郵便局の真横にあるのは世界一せまいという土渕海峡。
海峡というか、何というか、どぶ川ですよこれは。
海峡は船舶の通過ができないと意味ありませんから、実はけっこう水深があるのかもしれません。

さて、ここで10時10分を過ぎたので、オリーブの島局はパスして土庄港に向かいます。


土庄港は宇野方面、高松方面の客船がやってくる大きな港で、行き先や乗る船の種類によって乗り場が全然ちがうというややこしい港です。
駐車場は西の方に広いのが用意してあって、5時間200円で駐められます。
それは別にいいのですが、いざ港の方に行ってみると、これから乗ろうとしている豊島行きの船がどこから出るのか、切符をどこで買えばいいのかさっぱり分からない。
駐車場近くにある丸い建物は高松行きの切符売り場で、豊島方面の旅客船は敷地の東の方までいかないといけないと知って大慌て。時間に余裕をもってやってきたのは正解でした。

豊島行きの船は便によってフェリーの場合もあるので、その場合はもう少し中央あたりの乗り場から出ます。

無事に10時30分発の船に乗れました。
行きはフェリーではなくて旅客船です。車は乗せられません。
フェリーと客船は乗り場と車輌の搭載が違うだけで、料金や寄港地にたいした違いはありませんが、スピードは客船の方が速いです。

途中、唐櫃港に寄ってから、11時5分 家浦港着。
ここが豊島(てしま)郵便局への最寄りとなる港になります。

http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=20&zoom=16&nl=34.48717986954524&el=134.06196515142918
豊島・家浦港周辺の図


港には特にこれと行ったものはなく、トボトボと郵便局への道を歩き出すとこのように心細くなるような光景が現れます。

なんというか、観光地感ゼロ。離島感もゼロ。
目の前にはオリーブ畑があって、PEACEという名前のお好み焼き屋の案内板が立っています。
お昼近いので腹が減ってきましたが、残念ながらPEACEさんは定休日でもないのに開いておりませんでした。
家浦の近辺でこれ以外に食事できそうなのは港にある鄙びた喫茶店だけなので惜しい。

本日の6局目 豊島郵便局到着
回りには小学校があるくらいで、あとは田圃が広がっていました。
局内も静まりかえっていて、なんだか気の毒なくらいです。

貯金を済まして局の裏手を散歩していると旧局舎発見。
郵便局の女性局員に旧局舎が遺ってないか訊いたときは、そんなものはないという回答でしたが・・・・現局の真後ろにありますよ・・・しっかりしてください。


港に戻ってみたものの、次の船までまだ時間があるので西の集落を散策。
この辺で唯一まともに営業しているお店を発見。その名も岡田商店。


入口から見える店内の様子がすでに混沌としていて、さながらキオスクを思わせる商品点数の多さが特徴的。奥にはおばあさんが店番をしていて、店内の各所に古い什器類や在庫品が積み重ねられている。

かつてこういうお店がどんな田舎にもあった気がするのに、ほとんどが消えて無くなりました。
離島にはまだこういうお店が現役であったりするので感動します。

アイスクリームの冷蔵庫の上に糸こんにゃく、お好み焼き、キュウリのキューちゃん
そして、謎のうずまき状の手書きパネル。



店内の情報量が多すぎてめまいがしそうでしたね。
とりあえず、食料が欲しかったので菓子パン2個買いました。

これは渕崎製パンという土庄の会社が製造しているパンです。
小豆島だけでなく豊島でも売っているようですが、さすがにそれ以外では手に入らないと思います。
全国の零細パンを収集している数奇者も世の中にはいるらしいですが、離島までやってきて味わうのなら地元のパンに限ります。

家浦のフェリーターミナルに戻ります。
上陸したときは気づきませんでしたが、港にはレンタサイクル屋や小ジャレた土産物屋なんかがありました。
私が中学生くらいの頃にテレビに出てきた豊島というのは産業廃棄物に汚染された不憫な島というものでしたが、あれから年月が経って、産廃問題を解決した豊島は、今や瀬戸内の離島ツーリズムの拠点となっているようです。

貸し出してくれるらしいバイク。なぜかオラクル社のロゴが。


11時50分発のフェリーがやってまいりました。


さらば豊島

土庄港に到着するのは12時39分。
港の中につくなり、いきなり大回転を始めて、近くに停泊していたデカい観光船に接触するだろうというぐらいの大胆な間合いで交わしながら、なんとか接岸しました。


7局目 オリーブの島郵便局
1987年までは吉ヶ浦という名前の郵便局でした。
駐車場は局の向いの月極に2台ほど用意されています。
窓口に郵便局の新築記念の時のスタンプが設置されていますがけっこう摩耗が激しいです。

ここから町を離れて島の北側を目指します。

8局目 大鐸(おおぬで)郵便局
局名が難読すぎて分かる人にしかわかりません。
島の北側へ向かう道路の脇からそれて少し進むとある小さな集落の郵便局です。
次の北浦に向かうには来た道を戻る方法もありますが、ここはあえて局前を北へ進み、畑の中を通り抜けてショートカットします。

9局目 北浦郵便局
局の壁面に掲げられた風景入通信日付印 (風景印の正式名称) の看板があまりにレトロすぎる。
この郵便局は 『ぼくとママの黄色い自転車』という映画のロケ地になったらしく、局員さんからチラシを渡されました。

映画のロケ地になったという自慢話を聞いたのは有穂簡易局以来、2度目です。



大部局から福田に向かう道中にあるワイルドな光景。
この辺は採石場になっていて、山を削り取った跡が目の前に広がっています。

11局目 福田郵便局
姫路からやってくるフェリーは福田港を玄関にしています。
局舎の後ろには海が広がっていて、なんともいえないマッタリとした雰囲気。
ここで、局長さんより近くの神社の奥に旧郵便局舎があることを教えてもらいました。

神社の敷地をつっきって行くと、小川の流れる空間に旧局舎がありました。
芸術祭の期間中は展示室として上がることもできたらしいですが、今は静かになっています。
背後にある体育館は、廃校になった福田小学校の体育館で、今は進研ゼミのベネッセが所有しているアートスペース 「福武ハウス」 になっています。

近くの神社の敷地の一角にはとろけるチーズみたいな奇妙な構造物が。
アートらしいのですが、何の説明も見当たりません。

12局目 苗羽(のうま)郵便局
難読で珍しい響きの地名

13局目 坂手郵便局

ここはちょうど今朝に島に上陸した港です。ようやく島を一周してきたことになります。
局前には丸ポストが置かれていますが、これは単なる飾り物で、本当のポストは左にあるやつです。
丸ポストの横に立てられた看板によりますと 『二十四の瞳』 の作者の壺井栄は作家になる前にこの郵便局の職員として働いていた時期があったようです。
恥ずかしながら、私は壺井栄のことを男性の作家だと勘違いしていたのですが、この方は女性です。
どうやらアナーキストの大杉栄 (男性) と混同していたみたいで、どちらも香川県出身だというところも混乱の元だったようです。

坂手の町をさらに西へと進んでいくと二十四の瞳映画村というレトロな校舎があるのですが、今回は行ってるヒマがないのでパスします。
そのほか、この辺の地区は醤油蔵がいっぱい建っていて、見学ができるところも多くあります。小豆島というところは昔から醤油の産地で、島内至る所に醤油蔵があって、島内に22社もあるそうです。

15局目 草壁郵便局
ここで最後となります。この郵便局はなかなか変なところにあって、小学校の隣にあるせまい路地を入っていくとあります。表通りに看板が立っていないとまず通り過ぎてしまうと思います。

さて、ここで15時17分。かなり余裕のある形で小豆島めぐりを完了。
途中で寄り道をかなりしているので、実は3時間半くらいあれば小豆島は制覇できるのではないかと思いました。
島の北東部分は局間距離が非常に長いのですが、道路も空いているので軽快なドライブとともに郵便局を回ることができます。逆に島の南部は交通量が多くてのんびりとしています。

さて、ここで郵便局の時間もおわったので小豆島の散策に出かけても良いのですが、4時過ぎの船に乗って高松に向かえば高松中央郵便局に行けるので、さっそく高松へと向かうことにしました。
最初にも書いたように、今回使ったマイカースルー切符は高松方面のルートを2つの中から選べます。坂手港から出るジャンボフェリーと、草壁港から出る内海(うちのみ)フェリーです。

4時過ぎの船は草壁港からなので、さっそく港まで出て行き船の出航を待つことにしました。

ブルーラインという船が港に泊まっていたので、これに乗り込むのかと思いながら写真を撮っていると、係員さんがやってきて曰く、違う船がやってくるので一旦沖に出すので、ちょっと出航時間が遅れるからとの通達が。

しばらくしてやってきた同じような船は、数台のトラックを載せただけでまた沖合へ消えていきました。結局この船に乗り込むことができたのは16時20分くらいとなりました。

さらば小豆島。さらば草壁港。

このフェリーは階段を登ると屋外ガーデンがあったりしてけっこう開放的。
船内もけっこう豪華にソファーがあったりするので、横になって眠ることができました。
あと、学生のためのか図書館の学習スペースみたいなものもあって電源を使うことができます。
こんなに至りに尽くせりな船なのに乗客はあまりいません。
車の中で待機していても何も言われないので、車の中で寝ている人も多くいましたね。
高松までは1時間。気がついたら着いておりました。

 本日、打ち止めの16局目 高松中央郵便局
中央郵便局は数あれど、ここはちょっと狭いような気がします。
駐車場は有料ですが、15分程度ならとめていても金は取られません。

ということで1日目の行程は無事終了。

通帳画像
だいたいの郵便局の頭には小豆島の文字が入る

今回は寄り道が多いのであまり参考にならないかもしれない所要時間


以下、道中で撮ったどうでもいい写真達

年代物のセドリック V20ターボ ブロアム (土庄港)
あなたの町のミキマウス (土庄本町)
オリーブしまちゃん (草壁・星城小学校前)

味のある案内板 (草壁港)


矢印みたいな便所 (草壁港)
レトロ壁面 (福田)

翌日の徳島に続く

2017年4月3日月曜日

奈良の最近の移転した簡易郵便局

奈良県内で2016年の秋に3局が相次いで移転しましたが、ずっと放ったからしになっていたので、3月に現地確認に行ってきました。


◆ 宇陀松山簡易郵便局 (旧・上中簡易郵便局)
http://postal.kiramori.net/detail.php?code=45725

2016年も年の瀬の12月26日に移転しています。
郵便局の異動が年末にあることは珍しく、移転してから一週間で正月休みなので、なぜこんな時に?という感じです。

まずは旧局舎から。

こちらの郵便局はかつて日本郵便の民営化PRポスターに登場したことがあるので見覚えがある人も多いのではないでしょうか。
今の状況を見て郵便局だったとわかるのは大変難しいのですが、右側にシャッターが下りた区画が郵便局になっていました。
このあたり一帯は松山と呼ばれる地区で、古い商家の町並みが残されていますが、奈良県内にはこういう所は至る所にあるので、特に観光地化されるわけでもなくひっそりとした町並みが続いています。
この郵便局の建物も、実は100年以上経っているんじゃないかと思いますが、とうとう売りに出されたようで 「売物件」 の看板が貼り付けられていました。


こちらが現役当時の写真。

写真についてる日付が1999年で、高校時代に撮影した数少ない訪局写真です。
当時はデジカメも高かったのでコンパクトカメラで撮っていましたが、現像費用がかかるのでたまにしか写真を撮りませんでした。今思うと惜しい話ですが・・・。

かなり趣のある佇まいに当初びっくりしましたが、近隣の郵便局をまわるうちに 「この手の建物は奈良県にはいくらでもある」 ということが分かりました。
宇陀市近辺でいえば才ヶ辻簡易、栗野簡易、下芳野簡易などいろいろあります。
奈良県の郵便局を初めて回るなら断然宇陀市周辺をおすすめしますね。
車で回るのにも苦労しないし、郵便局の密度が高くてけっこう楽しめると思います。

こちらは旧・上中簡易郵便局のハス向かいにある大宇陀郵便局の昔の局舎、旧・松山郵便局。
純和風の建物が続く町並みにひときわ目立つ洋風の瀟洒な建物が印象的です。
写真ではよくわかりませんが、アーチの部分に郵便マークのデコレーションが施されています。
こちらに書かれていることによると、明治15年から昭和40年まで現役で使われていた建物で、現在は松尾邸と呼ばれているらしく、学研教室になっています。



こちらが現在の局舎。
以前は床屋だったようですが、今は郵便局に改装されているみたいです。
最初にも書きましたが、郵便局周辺はとてもとても古い町並みが続いていて、映画のセットみたいな景色が続いていますが、休日なのに観光客は皆無。
こういうマイペースで古風な感じの町を歩いてみるのも楽しいと思います。
http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=26&zoom=17&nl=34.48225999729976&el=135.93438274166112


◆ イオンいかるが内簡易郵便局 (旧・竜田西の山簡易郵便局)
http://postal.kiramori.net/detail.php?code=45781
2016年10月に移転改称した簡易郵便局です。
イオンの建物内に開局する郵便局は最近ではイオンモールとなみ(砺波本町からの移転)、イオンモール新小松内、そしてもうすぐイオン姶良なんかも開局されますが、簡易郵便局でイオン内に入るのは初めてではないかと思います。

こちらのイオンはモールではなくて、普通の大きなスーパーみたいな所ですが、店舗自体は以前からあって、今回は郵便局が移転するにあたって移転先として選ばれたようです。


こちらが内部の写真。
実は外観写真に出ている出入口は閉まっていたので、別の入口から入ってます。
郵便局の営業しない日はこうやってバリケードがされているので、郵便局側の出入り口は使えないのです。
普通は非営業日はシャッターで覆われて中が見えないものですが、ここは休日でも中が丸見えでちょっと不思議な感じでした。
ちなみに郵便局の手前は100円ショップになっているので、郵便局へ行くにはこの100円ショップを抜けていく形になります。この辺もちょっと不思議な感じです。


こちらは移転前の局舎の写真です。
上が2012年撮影、下が現在の姿。
ただ単に覆いが被されているだけのように見えますが、歩道の構造物の位置で見比べると建物が後退していることがわかります。
この辺の道路は拡張工事が計画されているようで、沿線には拡張用のスペースがぽつぽつとありますが、この簡易郵便局だった建物が明らかに拡張工事の邪魔になっていたので、いずれ壊されるだろうと見ていました。郵便局も立ち退きに合わせて移転したと思われます。
しかし、この建物が曳家で後退したのか、前面を削り取られたのかちょっと気になりますね。

http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=26&zoom=17&nl=34.60551318131666&el=135.7145810773087
2011年に移転再開される前、2009年の閉鎖までは北の住宅街の中にあって、私が訪問した当時はそこの郵便局に行ったはずです。建物は今でも残っています。
そのほかに2002年まで神南簡易郵便局という郵便局もすぐ近くにありましたが、この建物も残っています。
実際には1999年に既に閉鎖になっていたので、訪問することなく廃止されました。

◆ 勢野東簡易郵便局
http://postal.kiramori.net/detail.php?code=45773
http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=26&zoom=18&nl=34.60646026944393&el=135.70109761259084
イオンいかるがから少し行ったところにあるこの郵便局も2016年11月に移転になりました。

こちらは改称はされず、移動距離もたいしたことがありません。


新築の局舎が坂の途中に建っています。


こちらが旧局舎の現在の状況なんですが、何かもう当時の面影みたいなのは完全に消滅しているので最初どこに郵便局がわからなくて地図をじっと見比べながら見つけました。

道路の下に下りてみた旧局舎跡。
右にある建物は廃墟と化したマンション。背後は勢野北口駅の駅前です。
駅前といってもたいしたものはなくて、これから駅前をキレイに整備するためにここを取り壊ししたんだと思いますが、果たして何が建つのか想像がつかないくらいの広い敷地です。


旧局舎の在りし日のお姿。
この写真を見ただけでは現在の場所が特定できないので、まだ当時のままのストリートビューの画像を参考に残しておきます。


2017年3月20日月曜日

長距離の移転をした郵便局 Ⅱ


http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=19&zoom=12&nl=35.16571523845092&el=135.87829828735352

◆ 過疎地から大都市郊外への移転

花脊郵便局 ⇒ 京都静市市原郵便局
京都市左京区 1984移転

京都市左京区というのは想像している以上に広大な面積を持った行政区で、市街になっているのはその面積の一部分に過ぎません。
京都の背後には大原や鞍馬などの山深い里があり、さらにそこから奥へ進むこと1時間。花脊 (はなせ) と呼ばれる小さな山村に至ります。

今は既に当時の局舎が取り壊されて跡形もなくなっているのですが、かつてはこの地区に花脊郵便局という局がありました。
そして1984年(昭和59年)、 直線距離で13キロ離れた静市市原へ移転しました。
13キロと言っても、実際に車を走らせると1時間近くかかる距離です。 途中の道路があまり良くないので行くのは大変で、京都市民もおそらくこんな所へ行くことはまずないと思いますし、実際は多くの京都市民はこういう地区があることすら知らないかも知れません。

昔見たニュースで、左京区の山奥の村にはゴミ収集車がやってこないので、みんな庭や畑でゴミを燃やすしかないというようなことが取り上げられていて、行政に見捨てられた絶望的な地域だという印象を受けました。

1/50000 北小松 昭和21年発行より

花脊郵便局のあったのは花脊村の役場のあった大布施という地区。3差路になっている地点の少し南側です。現地調査でも痕跡がはっきりと見いだせず、道路の拡張で一部敷地が道路になっている可能性もあります。
しかし、昔の地図を見てもそうたいした人口が居たとは思えず、京都市に出るよりとなりの黒田村に行く方が便利だったように思えます。

ここで花脊郵便局に関して何か資料がネット上に転がっていないか見たところ、昭和59年の 国会逓信委員会での答弁にこの郵便局の実情が触れられていました。

実はこの間、京都市の左京区の過疎地域でありますけれども、そこの花脊局という郵便局の問題で、地元の住民の方々が大阪の近畿郵政局へ要請に行ったと。そのときに局側の対応がとにかく廃止をするんだと、その理由も時期も今は言えませんと、こういう全くつっけんどんな態度で話が暗礁に乗り上げたままと
    ここを廃局しますと、一番近いのが黒田局というところで、ここは八キロ離れたところにあります。しかし、ここへ行こうにもバスは通ってないと。バスが通っているところで一番近い郵便局へ行こうと思うと鞍馬局というところで十キロあると、こういう状況のもとで、しかしとにかく理由もよくわからぬ、説明もないままに廃止をするんだと、

花脊地区の人にとっては廃局は寝耳に水の話であったらしく、年金を下ろすために黒田までいくのは大変難儀なことだということで反対運動がおきたとの話です。
ここでの答弁で、郵便局の新規設置に関する基準のようなものに触れられます。

現在、「無集配特定局の設置標準」というものがございまして、それは昭和三十七年に設定したものでございまして、大きく分けて原則が二つございます。第一の原則は郵便区市内地、割合密集している地域におきましては局と局の間が八百メートル以上、享便人口が八千人というのが一つの大原則でございます。二番目の原則としまして、郵便区市外地、比較的田園都市、田園地帯につきましては局と局の間が二キロメートル以上、享便戸数が八百戸以上というのが原則でございます。

局間距離は都市部では800m以上、田園地帯では800戸以上の享便戸数が必要だという。
ところでこの「享便」という言葉が調べても載っていないので何と読むのか、どういう意味なのか厳密には分かりませでした。しかも出てくる文書によって「亨便」と書かれていたりもします。郵政省独自の言葉なのでしょうか。
「亨」は「供」と同じような意味を持つ漢字らしいので 「便に供する」 (便利なように手段を提供する) というような意味で使われているのだと思います。

花脊局の現状でございますが、享便戸数は現在百九十五戸程度でございまして、一日の郵便の取り扱いは一・五通、貯金が二十九件といった状況でございまして、簡易郵便局程度と申しますか、大きな簡易郵便局よりもはるかに少ない取り扱いでございまして、近畿郵政局として地元の住民の理解と御協力が得られるならば廃止したい局の一つに計画しておるところでございますが、ただ、これまでもそうでございますが、特定局を廃止する場合に、単に廃止するといったやり方ではなくて、跡地に簡易郵便局を設置する等のことを住民の御希望に沿ってやってきておりますので、花脊郵便局につきましてもそういった方向で住民の理解と御協力を得ながら今後やってまいりたいと、

なんと花脊郵便局の享便戸数とやらは195戸。郵便が一日に1.5通、貯金が29件とかなり末期的な状況で、これでは確かに営業している経費がもったいないという感じです。
しかし、ここに書かれているような簡易局の開設ということは実際には起きませんでした。

のちに、花脊よりも奥にある、花脊よりもっと小さな集落の久多郵便局が廃止となるわけですが、こちらは簡易局として引き継がれ、現在も営業がされています。


http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=19&zoom=14&nl=34.44275336293504&el=135.6200694659424

◆ 旧村落から新興住宅地への移転

東阪郵便局 ⇒ 千早赤阪小吹郵便局

大阪府南河内郡千早赤阪村 1998年移転

大阪府で唯一の村として残る千早赤阪村の千早赤阪小吹郵便局はもとは東阪簡易郵便局の位置にありました。
直線距離で1.3km、道のりにすると2.6km離れています。
小吹台が造成されてそちらの方に郵便局の設置要望がでたときに、新規で設置せずに旧集落の東阪から郵便局を移転改称させるという方法で設置されました。
これは先に花脊局で触れた特定局新設の基準に照らし合わせてみると、直線距離が2キロもないために新規設置できなかったということがわかります。


東阪簡易郵便局は旧局舎をそのまま利用して開業していますが、その立地のすごさには驚かされます。地図上に郵便局が書かれている位置に来たのに郵便局が見つからないので焦りました。
郵便局は頭上の方にある民家のような建物で、そこまでは歩いて狭い通路を上らないと行けません。大阪府内でもわかりにくさでは上位にあると思います。

http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=19&zoom=15&nl=34.8293769597428&el=135.31758066207888


名塩郵便局 ⇒ 西宮東山台郵便局
兵庫県西宮市 1997年10月26日 移転

移動距離は1キロほど、こちらも千早赤阪小吹と同じような時期の移転で、旧位置には名塩西簡易郵便局が開局しています。


 
http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=19&zoom=13&nl=35.448453874191664&el=134.26239963562014

倉田郵便局 ⇒ 鳥取若葉台郵便局
鳥取県鳥取市 1999年7月5日 移転

移転距離は4.3km、道のりで行くとかなり離れているので同じ郵便局だったというのがわかりにくいです。こちらは普通に新設でもよかったような気がしますが、倉田郵便局の建物が古くなっていたので建て替えついでに新興住宅地へと移動したのでしょう。
ちなみにかつての倉田郵便局は鳥取円通寺簡易郵便局という名前で建物がそのまま使われています。



2017年3月3日金曜日

長距離の移転をした郵便局 Ⅰ

メインサイトの方に 「利用客減により撤退した郵便局」 を公開いたしました。
http://postal.kiramori.net/view_kakusage.php

これは地域の過疎化によって客が減少したとか諸々の事情で廃止された郵便局や、そこの土地から撤退して別の所で郵便局を続けている郵便局についての一覧です。
前からずっとまとめてみたいとは思っていましたが、全国の分を作っていてはいつまでたっても公開できないので、とりあえず西日本からとなります。
このまま徐々に東に追加していって北海道まで作れると良いですね。
北海道の該当局はおそらくほかの都道府県を全部足した分と同じくらいになると思いますが。

廃止された郵便局については官報の告示を過去へと辿っていけばだいたい揃うのですが、長距離移転した郵便局については細かく調べてみたり現地で聞き込んでみたりしないと分からないものがあったりして、まだまだ網羅できていないところがあります。

まず第一に長距離移転とはどのくらいのものからさすのか、というのは私の尺度でしかないのですが、明らかに立地が辺鄙だとか、過疎化が進行してるとかの理由で移転してるなと思わせるモノを収録しています。集配局がより大きな施設に引っ越すに当たって数キロ単位で移転したとかそういったものは除外しています。まぁ、基本的には格下げで簡易局になった郵便局が中心の一覧です。

ここでの話題は主に、東日本編で収録した長距離移転の例を辿っていきたいと思います。
まずは滋賀県から。



http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=19&zoom=14&nl=35.57198181130102&el=136.20492021697999

 ◆例1 柳ケ瀬郵便局 ⇒ 余呉片岡郵便局

滋賀県長浜市 1994年移転

滋賀県北部の余呉(よご)という町に今でもある郵便局の変遷です。
1994年の移転なのでわりと最近のものになります。(20年以上前ですが・・・)
地図の切り抜きでは大して移動していないようにも見えますが、直線距離は3kmで、まぁ実際に尺を取ってみるとたいしたことがないんですが、移転前の柳ヶ瀬集落に行ってみるとよくもまぁこんな片田舎に郵便局があったなと思わせるほど静かな集落です。

こちらの小さな局舎で1989年まで集配局もやっていたらしい。


そして上の建物の向かい側にはかなり年季の入った旧旧局舎が。
洋館風の建築にモルタルの厚化粧という出で立ちでひときわ目立っています。
実際のところこれが旧局舎なのかどうか確証は得てないんですが、かなりそれっぽい建物だし、役場にしては小さいので郵便局で間違いないでしょう。残念ながら集落に人影がないので訊いて確かめることができないのです。どうやら住人もいるようですが、人が見当たりません。



これが郵便局前の風景。柳ヶ瀬のメインストリート。
滋賀県でも豪雪地帯なので冬になると雪で埋もれてしまいます。


郵便局から少し北の方へ歩いていくとこんなお屋敷が。
柳ヶ瀬という集落は今でこそ山間の鄙びた村になっていますが、かつては北陸のメインストリートである北国街道と若狭街道の分岐として関が置かれるほどの重要な土地。そして、その関所の役目をしていたのがこの建物。
正式名称がよくわからないが、建物前には 「明治天皇柳ヶ瀬行在所」 と書かれています。

正門前に丸ポストが置かれていますが、これ、飾りのためにあるんじゃなくて、本当にポストとして稼働しています。それどころか、旧柳ヶ瀬郵便局の前にはポストがないので、この集落のポストはこれ一本ということになります。
こんな山奥の寒村で天皇家の行在所  (※注 「あんざいしょ」 と読みます) があるとは、と驚いたのですが、この建物そのものが柳ヶ瀬郵便局の初代局舎だということなのです。
つまり、巡り巡ってポストは元有った位置に戻ってきたということですね。
幕末から明治維新になって、関所としての機能を失ったころ、郵便制度が開始されると日本各地の庄屋や本陣や寺の人材を郵便局長に仕立て上げて、彼らの自宅の一部を使って郵便局を開業させることで、ニワカに日本各地に誕生した特定郵便局。その走りのようなものがこんな寒村に残っていたと思うと感無量じゃないでしょうか。

というわけで、初代から現在に至るまでの郵便局が残っているちょっと珍しいパターンでした。

http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=19&zoom=13&nl=35.251739252712525&el=136.3341812338257



◆例2 脇ヶ畑郵便局 ⇒ 彦根大藪郵便局

滋賀県多賀町⇒彦根市 1974年移転
こちらはずいぶんと歴史が古く、しかも長距離移転の例となります。
犬上郡脇ヶ畑村は現在の多賀町の山間部に存在していた地域で、昭和30年まで単独の村として存在していました。1974年は昭和49年なので村が消滅してから19年の間はまだ現地に存在していたということになります。そして、彦根の市街地へ移動したその距離は直線でみても12km近くありますし、市町村自体を跨いで移転している珍しいパターンとなります。

この郵便局が存在していたという保月(ほうづき)という集落には現在定住している住人が一人もいません。それどころか旧村域である保月、杉、五僧の各集落もすべて廃村となっています。
私がここを訪れたのは4年ほど前になりますが、杉の集落はすでにほとんど家屋が残っておらず、保月は寺院のお堂が残っている他は崩れかけた茅葺きの廃屋や、プレハブ小屋のようなものだけけでとても寂しい所となっていました。
郵便局についてはまだ15年ほど前の時点では残っていたらしく、村役場の建物と同居すする形で、内部には当時の書類がまだ残っていたというからなんとも凄い話です。
しかし、今は郵便局がどこに存在していたのかもわからなくなっています。
http://maps.gsi.go.jp/#15/35.240186/136.374300/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0&d=v
鈴鹿山脈の西側にあって、標高は600mという高台にある保月集落。
地図では心許ない道路で繋がっていますが、いちおう普通自動車でも通れるようになっています。
この道路はかつては近江国から美濃国へと抜けるための国境越えルートとなっていて、敗れた西軍の島津軍がここを通って薩摩に帰っていったという由緒ある抜け道です。
なぜこんなところに人が多く棲んでいたのかというと、つまりここがかつて主要道路だった頃に、今で言うロードサイドビジネスで栄えた土地だったわけで、加えて、鈴鹿山脈は鉱山資源もあったので労働にも出やすい土地だったのです。山の上としか思えないこの深山幽谷の地に平坦地が存在しているのは、カルデラ台地の特徴で山頂に窪みができており、そこに湧水があったので人が住めたというのが理由のようです。実際に水田開発もできず、農地もろくに確保できない土地に今では想像もつかないほどたくさんの住民が居たわけで、生活が成り立たなくなったとたんに離散が相次いで廃村に至りました。
郵便局が最後にここにあった昭和49年というのは、すでに限界集落を突破した末期状態で、このあと、昭和52年の集団移転で全ての住民が立ち退き、人口はゼロとなりました。

http://postal.kiramori.net/routemaker_map.php?id=19&zoom=14&nl=35.15306068734864&el=135.88863412994385


◆例3 途中郵便局 ⇒ 大津伊香立(いかだち)郵便局

滋賀県大津市 1997年移転

大津市の琵琶湖大橋の西岸にあたる堅田(かたた)地区から京都市街へ抜ける道路は途中で「途中峠」というその名もずばりな峠を通過しますが、この峠近くの小さな集落にあった途中郵便局が麓の伊香立まで下りてきたのは1997年のこと。距離にすると4.6km
途中郵便局のまわりはほとんど人口希薄な辺境地帯であったのに集配局としての機能を有していたのはここが京都・若狭・近江を結ぶ主要道の合流地点であったからだと思います。

この建物で1997年までやっていたのが凄い。
なにやら喫茶店のようにも見えるが、ただの個人住宅にも見える。実際のところ何に使われているのかわからないけど中が見てみたい。

建物の裏手に回り込むと正面の洋風モダンな風貌とは打って変わって和風建築。
丸窓なんかがついててわりとオシャレです。

ちなみにこの写真を撮ったのは今から10年近くも前。
当時、途中峠は有料のトンネルとなっていましたが、2010年から無料になったようです。
そうか、あれからもうそんなに経ったのか・・・。

2017年2月19日日曜日

ATMの無い直営郵便局


郵便局関連のコンテンツに久々に新しいリストを追加しました、


ATMサービスのある簡易郵便局

ATMサービスのない直営郵便局

どちらも公式ページで検索条件をうまく指定してやると表示できるらしいので、わざわざ作ることもないだろうと放置していたのですが、いざ作ってみると面白いことが見えてきました。

ATMの無い直営局は、局舎が狭隘だったりする理由で全国に何カ所かあるのは知っていましたが、最近は局舎の建て替えなどしてATMのある郵便局にしているため近年はだんだんと数が少なくなってきました。
移転などでATMの無い局から有る局になった局については以下の表の通りです。


さて、ここまでは先週の記事で書いた通りなんですが、ATMサービスのない直営郵便局の廃止された郵便局に関してちょっと間違いがあったので一度リストを取り下げて、内容を訂正しました。
どこがアレだったかというと、 2014年以前に廃止された郵便局に関してはATMの有無について情報を持っていなかった可能性が高い、ということです。

このサイトが公開される遙か前、2011年頃にサイトの原型ができた頃はATMの営業時間をデータベースに保持していなかったのですが、何年か前にこれを追加しました。
そして、正確な時期はわかりませんが、各所に残るメモの痕跡から2014年7月頃に仕様を追加したらしいということがわかってきました。
そうなると、昔に廃止された郵便局は古いデータのままであるものを多いので、ATMが有ってもデータが無いので「ATM無し」扱いになってる。これをリストに出したら正確なものではなくなるのでリストから2014年7月以前に廃止ものを除外しました。

当初、廃止された郵便局にATM無しのものが多いという点で非常に気になったので記事を書いたのですが、正確な裏付けがないのではっきりと言えないですね。
しかし、廃止された郵便局には建物の感じからしてATMがあったとは思えないような郵便局もあるので、もし2010年の段階からきちんとデータを保持していたらもう少し何とかなったかなぁと思いました。