■ 寝不足スタートの宮崎県局めぐり2日目
延岡から南下をしていった1日目とは打って変わって、計画では、2日目は都城近辺を回って鹿児島県に乗り込もうという計画でいたが、諸般の事情により19時頃までに宮崎市内に入っておかないといけなくなったので前日の続きのようなルートを往くことになった。
諸般の事情というのを一応説明しておくと、帰りにフェリーで宮崎を離れるときに払う運賃をケチるためにいろいろと考えたところ、マリンカードというものに入っておくと2割引になるということで、これに入会するためには出航前日までに事務所で手続きをしないとしけないが、19時にフェリーが出たら事務所も閉めるので、それまでに来てくれと言われていたため。
1日目、なんやかんやで宮崎市内に着いたのが夜中になってしまったので手続きがまだ出来ていませんでした。
ちなみに事前の予約で割引価格で買えるということになっていますが、GWの便は早いうちから取られてしまうので、割引セールはあてになりませんし、JAF割引で1割引というのも、GW中は期間外となるので使えません。事前に電話で質問しまくって情報を固めておいたので間違いないです。
さて、この日の計画としては、朝早くに西都市から山を越えて渡川というところに向い、そこにある渡川簡易郵便局をスタートにする予定でした。・・・が、朝から例のごとく腹をこわして蹲っていたのに加えて、3時間しか寝てないという状況になってしまい最悪のスタートとなってしまいました。
瓢丹渕郵便局を越えたあたりで、こりゃ9時に間に合うわけねーだろということになり行き先を変更。
国道219号線をずんずんと山に分け入った先、西米良村というところの村所郵便局からのスタートとなった。
1局目 村所郵便局
ムラドコだと思っていたらムラショと発音するという。村に2軒しかない郵便局の一つ。
国道から少し脇道を入った先にあるので、郵便局に用事がなければ存在に気づかないような所にある。向いは福祉施設か何か。周りにはいくつか商店のようなものがあるのでささやかながら村の中心地になっている。
西米良村はかつては山村僻地そのもののような所であったが、熊本に向かっていく国道沿いに位置しているので道路は一定の交通量があり、それほどの僻地感はありません。
一ツ瀬川ダムのほとりにある越野尾郵便局に寄って、しばらく進んだ所にある長いトンネルを抜けると、左折して銀鏡方面に向かう道路に入ります。
3局目 銀鏡郵便局
銀鏡と書いて 「しろみ」 と読ませる独特な読み方が印象的な郵便局。
さっきのトンネルの分かれ道から10キロくらい何もないクネクネ道路を進んだ先にある小さな集落にそれはある。序盤からなかなかハードな道のりだ。
この銀鏡という地名の由来には神生みの国・日向らしく、神々に関わる地名伝説がある。
地名に関わる部分だけ着目してみると、神が放り投げた鏡が山の途中の大杉に引っかかり、その鏡が集落を白く照らしたから銀鏡という地名になったとかなんとか、簡単にまとめるとそういうような話です。この地には銀鏡神社があり、ここに白銅鏡が祀られているのはその伝説との繋がりでしょうか。
ところがどうも鏡を放り投げてから先の物語は記紀には記されていないオリジナルストーリーらしく、地名のために無理矢理作った感がアリアリな気がします。
もともとあったシロミという地名に曰くありげなように銀鏡の字を当ててるだけじゃないかと。
シロミという地名がいつの時代から使われているのか、調べてみないと分かりませんが、シロという言葉の意味するものは 「城」 か 「白」 か 「後」 のいずれかしかないわけで、 京都の山城などは山が後ろにあるとか、そういう程度の意味なんですが、ここの場合はおそらく「白」の方でしょう。ちょうど一ツ瀬ダムでは湖水の濁水問題があって、随分と対策に苦慮しているらしいのですが、これはこの辺の土壌が沈みにくい粘土の層になっているせいで、ダムに流出する土砂が沈殿せずに水面に拡がってしまうのが原因のようです。ということで、川の水が白く濁って見えるからという説を思いついたのですが、銀鏡に関する文献など探ればもう少しまともなことが書いてあるかもしれません。
さて、銀鏡郵便局に寄ったあと、元来た道を引き返して西都市方面に下るつもりだったが、郵便局の前の道を北へ抜けていくと、当初スタートにするはずだった渡川に辿り着くことができるのだ。
ここでどちらに行っても次の局までは長い道のりになるのだから渡川に抜けるという選択肢もあるのである。
唯一気がかりなのは、渡川方面への道がかなり狭そうなのです。そのことについて局長さんに訊いてみたところ、車で20分もあれば渡川に行けるということと、1週間前に通ったけど普通に抜けられたという証言が得られました。
そこで、そんな程度ならいっそのこと最初の計画通りにいってしまえということになった。
集落が谷沿いにしばらく続いて、最後の民家を過ぎるとひたすら続くカーブだらけの山道。
車がギリギリすれ違えれるくらいの幅はありますが、局の人の話がなかったホントに抜けれるのかどうか不安になるような道路。
20分で行けるというのは、にわかに信じがたい話であったけども、どうせなら20分で行ってやろうじゃないか、こんな山道、眠気覚ましにちょうどいいわいとばかりにアクセル全開で山道を突進していきました。幸い対向車も全くなく・・・。
そして、辿り着いた五郎ヶ越のピーク地点。
切り通しの合間に突如現れたる看板には 「百済の里」 という日本語とともに異国の文字が。
Kudara no Sato
백 제 마 을
なんでハングルがこんな日向の僻地に・・・
百済の里ってどこだよ・・・
そしてよく見たらこの先26kmという途方もない先を示している看板で、本当にどこのことを言っているのか見当つきませんが、こんなところに観光にやってくる韓国の観光客がいらっしゃいましたら、こんな辺鄙な道は通らない方がいいと言っておきたいです。
4局目 渡川(どがわ)簡易郵便局
渡川の集落にようやく着いて、しばらく谷沿いに下っていくと真新しい局舎の郵便局が現れます。
結局、銀鏡からここまで30分以上かかっており、途中の道はかなりすっ飛ばしていたので、のんびり来たら50分くらいはかかってしまうんじゃないでしょうか。
局内は若い局員さんが待機中。
あとで知りましたが2001年に移転しているので、そのときからやってる人だと思います。
山間渓谷の限界集落に近いような地区ですが、郵便局の建物はとてもキレイ。
そして郵便局の隣にはプレハブ小屋の仮設店舗のようなものがありました。
(写真の左に写っている小屋のような建物です)
局長さんに聞きましたら、まぁ酒屋ですねーという回答があったので酒屋なのでしょう。
吹けば飛ぶようなお店とはこういうものを言うのだろうか。しかし、酒屋にしては開放的なので、地元民の酒飲み場にもなっているのかもしれない。この郵便局の前で連日酒盛りが行われているのを想像すると楽しい。
そしてこちらが移転前の局舎。
今は「文(ふみ)ちゃん」という名のホルモン焼き屋になっているという局長さんの証言を得て、道すがらなので立ち寄ってみたところすこぶる年季の入ったこの外観。
こんな山の集落にホルモン焼きというのも驚だが、入口の庇なんかはボロボロに崩れていて、ほとんど閉店しているんじゃないかと思えました。しかし近づいて店内の様子を見てみたところ、内部はこぎれいにしているので、確かに営業はされているんじゃないかと思われる。
なお、渡川簡易郵便局はかつては特定局だったらしいので、この建物はその当時から使われていたはずです。
5局目 神門(みかど)郵便局
ここもなんだか神々しさの表れた地名で日向の国らしいといえばそれらしい。
待合のところにはいくつか本が並べられていて、田舎の不要な土地は売り手がつかなくなる前にとっとと処分すべしという論旨の文庫本なんかが置いてあったりして思わず読みこんでしまった。
田舎の土地はさっさと捨てて町へ出よということか。
6局目 坪谷(つぼや)郵便局
神門郵便局から16km。11時にしてまだ6局目というのはスローペースじゃなくて、とにかく局間距離が長いから。前述の通り3時間しか寝てないので、途中で眠気が襲ってくるのを必死にこらえていたのだ。
この坪谷という地区は歌人の若山牧水という作家の生まれ育った土地であるらしく今も当時の実家が残っている。
若山牧水という名前は以前から知っていたのだが、短歌じゃなくて俳句の方だと思っていた。
たぶん山頭火あたりと混同していたのではないか。まぁその程度の知識しかないのだ。
牧水は明治の時代に早稲田に入るくらいのボンボンなので、それなりに立派な家柄に違いないのだが、実家はどこの田舎にもあるちょっと大きめの屋敷程度のものなので、言われないと気付かずに通り過ぎてしまうかもしれない。しかし、明治時代のお屋敷がそのまま現代も残っているというはなかなか凄い。
あと、郵便局の中の展示に牧水が中学だか尋常小学校だかの時の成績表の展示があったような記憶があるが、時に目立った成績ではなかったように思う。
7局目 山陰(やまげ)郵便局
坪谷から東へ進むこと11km。山陰と書いてヤマゲという印象的な名前の郵便局。
ここまでくるとかなり町っぽくなってきて、車通りも激しくなってきました。
さきほどの坪谷と、この山陰地区は今をさかのぼること300年以上前に 「山陰・坪谷村一揆」 という一大騒動のあった土地。元禄時代なので相当昔のことではあるが、その当時このあたりで数年にわたり災害や不作が続いて飢饉が発生し、ついには村人一同が村を捨てて薩摩目指して逃散 (ちょうさん) するという事態が起こったというお話。当時は村を捨てて余所に行くというのは大へんな叛逆的な行為でだったのだが、この当時にして1422名という大群が藩を捨てたので大騒動になり、彼らは隣の高鍋藩にしばらく食わしてもらいがらも延岡藩に戻ることを頑なに拒絶したので、最終的に幕府の裁定で、首謀者一同が処刑、村の代官は罷免、延岡藩の殿様は糸魚川に転封 (てんぽう) となる形で決着が図られらしい。そして、以降これらの村々は天領となったとのこと。
江戸時代というのは、基本的に藩の領域で世界が完結しているので、隣の領民が飢えに苦しんでいようとも助けることはなく、難民がなだれこんできたら領民が暴力的に追い返してしまうような非情な時代なのだが、こういう人たちを食わしていた高鍋藩というのはなかなか寛大な殿様がいたのだなぁと思う。
あの米沢で飢饉状態の民衆を救ったとして名君の誉れ高い上杉鷹山はもともとは高鍋藩の生まれで、おそらく高鍋の先祖代々のこういう性格というか美徳の血が彼には流れていると思うのだが、かつて関ヶ原で敵対していたはずの上杉に養子に出されているのはどういう経緯なのかよくわからない。
いずれにしても西日本の片隅で起こった事件が、のちに東北の米沢の民衆を救ったことに繋がっているのは面白いと思う。
■ 日向市郊外をぐるっと回る
前日に日向市の北部分を制しているので、今日は郊外部の残りを攻めて県北部を制圧していくという完璧な計画をここまでの行程上で立てていたのだ。
12局目 細島郵便局
日向国の古くからある港町で、今でも宮崎の重要な港湾地区。
細島といっても埋め立てが進んだせいで島ではなく地続きとなってしまっている。
かつては宮崎カーフェリーも入港していたものの、今は宮崎港の方に入港してますね。。
郵便局のあるあたりは古い商家風の建物が残っており、風情のある町並みが続いているが局舎はそれらとはあまり合わないコンクリート作りのものになっている。
ちょっと集配局風。それにしては建物の容積が小さい気がしますが。
13局目 伊勢ヶ浜簡易郵便局
伊勢国から来た者からしてみるとなぜここが伊勢ヶ浜と言われているのか、大相撲の伊勢ヶ浜親方の名前の元ネタってここなのだろうか、ちょっと気になるところ。
細島からこの郵便局の前を通って南方へ突っ切っていく道路は、交通量の割に中央分離帯などもあったりして無駄に立派なのですが、どうやらかつては有料道路であったらしい。
細島側から行くとこの中央分離帯のせいで、いちいちUターンしないといけないので面倒でした。
14局目 岩脇郵便局
塩見川を渡ると日向市街からも外れて海岸沿いに国道をひた走ることになります。
岩脇郵便局は国道沿いにありますが、駐車スペースがまるでない古いタイプの郵便局で、局内の雰囲気も40年前から時間を停止しているかのような空間だった。
15局目 幸脇簡易郵便局
さっきの局が岩脇ならこちらはサイワキという郵便局。
耳川を渡る手前で国道から脇道に入らないと辿り着けないので注意が必要です。
局の向いのリフォーム屋から関係者がやってきたので、そちらのお店の人が受託しているんではないかと思います。
16局目 美々津郵便局
美々津は、かつては耳津も書かれていた古い港町で、耳川の河口にある風光明媚な土地。
若山牧水が生まれて初めて海を見たのも美々津だったといいますが、今でも当時の繁栄を思わせる町並みが拡がっています。郵便局はかつてはこの町並みにあり、今でも当時の建物が残されています、今は高台の国道沿いにあるのでわざわざ旧道までおりていかないとこの光景を見ることは出来ませんが、なかなかの雰囲気なので寄っておくことをおすすめします。
ここからはいよいよ国道沿いを一本筋に郵便局が並んでいるので、流れるような局めぐりが可能。
東都農郵便局は国道沿いにあるのですが、ぼーっとして通り過ぎてしまい100M先から戻りました。都農郵便局は国道から少し東方向、都農駅に向かっていくとあります。このあたり日豊本線は段丘の下を走っており、丘の上にある国道からはかなり離れた位置にあります。
国道を走っていても鉄道は全く見えず、あたりは畑か林ばかりで北海道を走っているような気分になります。都農町にはかつてリニアの実験線がありましたが、結局宮崎にはリニアどころか新幹線が走る気配もありませんでした。なぜこんなところに実験線を作ったのかというと、リニアの開発を主導していた人物が 「地方は素朴で親切」 ということで実験に協力を得られそうな自治体として提案したのが宮崎だったからだそうです。本当のところはもっと政治的なレベルで選定されてると思いますが、ちなみに山梨にリニア実験線を移転したのは石原慎太郎だったようなことも書いてあります。
19局目 塩付郵便局
畜産試験場などがある川南町に入って最初の郵便局。
すこし手前にいかにも旧局舎らしい建物 (写真上) があったので局員さんにきいたところ、確かに郵便局だった建物で間違いないとのこと。
20局目 川南郵便局
国道から少しだけ入ったところにある集配局。
小丸川 (高鍋町との境に流れてる河川) の北側にあるのになんで川南と言ってるのか最初よくわからなかったのですが、都農町との境に流れてる名貫川という小さな川を境にして南だから川南なのだそうで、ちなみに都農町は町全体が大字川北という単一の大字しかないのですが、この川北がまさに川南とのセットになっているそうです。地名のつけかたにやる気がないのはこのあたりがかつては無住の土地だったことに起因していて、近代に開拓団が入って開いた土地が多いためで、北海道っぽい雰囲気が感じられるのも当然といえます。
ここで14時となり、残り2時間となりましたが、国道をひたすら南下して沿線の郵便局に寄っていくというスタイルでどんどん局がのばせます。特に最後の1時間は6局回っているので相当なもんです。国道を走っていて思うのですが、宮崎の人は車をガンガン飛ばします。沿線のところどころにあるゆずり車線なる車線に入ろうとする車などおらず、軽トラもアクセル全開でして、後ろから煽られるまま走っていると肝心の郵便局にさしかかったところで曲がるタイミングを失ってアタフタしてしまいます。本当に北海道みたいな所だなーと思いました。
■ この日のしめくくりの郵便局は・・・
29局目 宮崎山崎簡易郵便局
この日、16時直前に辿り着いた局はシーガイアの近くにある郵便局でした。
海岸沿いの道路からほんの少しだけ脇道にそれたところに大きな文字で簡易郵便局と書かれていている建物を見つけるや、おもむろにハンドルを左に切って進めば、そこは何もない集落の外れ。
これは郵便局なのだろうか?
少し違和感のある外観だが、たしかにポストも看板もあるから郵便局には違いない。
入口の引き戸をガラガラを開けて中に入った瞬間に、この違和感が何であるかを理解した。
郵便局の窓口が居酒屋のカウンターそのものなのである。そして客用に置かれてるイスもソバ屋のカウンターなどでみかけるような和風の腰掛け。よく見ると窓口の局員の頭上には細長い棚のようなものがある。局長さんに訊いてみるとここは元焼鳥屋なのだそうだ。
ああ、あの長い棚はキープしたボトルを並べておくところか・・・。
しかしどうしてまたこんな場末の場末みたいな所に焼鳥屋があったのか。
まぁ、だからこうして潰れて、晴れて郵便局に生まれ変わったわけだが。
いままでいろんな簡易局に行ったけど、飲食店の居抜きというのはここと赤羽根若見くらいしか思いつかない。どちらも印象は強烈に残る。ぜひ訪問をオススメしたい。
そして、ここがどのくらい場末なのかということがわかるのが上の写真。
郵便局への脇道の目印となっているのがこのビデオ自販機 「こっそり堂」 である。
「こっそり堂」 について詳しく知りたい人は2017年に出版された 『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』 という本を見てみるといい。全国的に滅亡への道をたどっているビデオ自販機業界の中において、九州はわりと現存していることが多いのは、この 「こっそり堂」 の営業がせっせと九州を走り回っているからである。この店舗は上記の本には載っていないからまだ宮崎県内には見つかっていない物件が山ほどあるのではないかと思われる。
この薄暗い店内。独特のノリのポップ。素晴らしい。
いつの間にか貴重な存在となっているので、今のうちに回っておくといいと思う。
気付いた時には無くなっていると思うけど、たぶんほとんどの人には記憶にも残らない。
だからこそ、今のうちに見学しておくべきだと思いませんか。
店舗の片隅にはクタクタになったのぼりやら、ベルト(!?)やら、ゴミが散乱していて何もかも寂れていますが、この日の最後の局はなんだかとても印象に残りました。
ちなみに16時以降、県内で開店してるのは中央局だけなので、さっそく向かって貯金し、この日のトータルは30局で終了。
■ この日の局めぐり時間とか通帳とか
番野地のあたり時間かかりすぎてるのは、ちょっと寄り道してたから。
あとは高鍋で通帳を更新したくらいで、ほとんど寄り道なしで回っています。
この辺、というか、宮崎県内は絵入りのハンコを使っているところが少ないです。
この日の絵入りは日向郵便局のみ。
拡大してみました。
この絵の正体はなんなんでしょう?
今回いろいろと調査しましたが、よくわかりませんでした。
日向市のゆるキャラを検索するとヒョットコのようなもの (ヒョウ助というらしい) がでてきますが、それとも違うような気がする。そもそもキャラクターかどうかも不明。
■ あとがき
・・・というわけで、生まれて初めての宮崎県は2日目にして北方面をみっちりと訪問して回ったので満足でした。
一つ残念なのは行った当時、一時閉鎖中だった大貫簡易郵便局がどうも再開しそうなコト。いや、これは残念じゃなくてむしろいいニュースか。川南町の川南港簡易郵便局も当時貯金の取り扱いを中止していたが、のちに復活している。こちらもいいニュースだけど取りこぼしになってしまってんだから素直に喜べない。
また機会があったら行きたいと思います。宮崎。
こんな長い内容、読んでいただきありがとうございました。
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